書評
『人間とは何だろうか――脳が生み出す心と言葉』(河出書房新社)
文明と芸術 言語能力あってこそ
著者は言語脳科学者。チョムスキーの考えに従い、MRIによる脳機能解析によって、人間の脳に言語中枢が存在することを示した。「脳が生み出す心と言葉を冷静に見つめ直し、両者の関係性について理解を深める」ことによって人間を知ろうとするのが興味深い。人間は「植物、動物、機械と何が違うか」、「いつ芸術を始め、なぜ言葉を話すか」、などの問いを通して、脳、心、言葉を考えていく。理性にたけ、科学に興味がある富人(とみと)と、文系で感情豊かな筆子(ふでこ)を主人公とする物語とその後の補足、解説で話が進むので、少々面倒な内容も素直に頭に入る。
著者は、心を「脳機能の一部であって、知覚―記憶―意識の総体」と定義する。そこで、ある学生の、花に「毎日話しかけながら水やりをしていると成長がよいので、きっと心があります」という言葉に衝撃を受けたとある。心は対象との間にはたらくのであり、学生のような受け止め方もあってよいと思うのだが。動物では、進化に伴い、ある個体の行動に伴う脳の働きが、他の個体の脳でも起きるようになり、「共感」が生まれる。犬とは心が通うのである。人間は更に、自意識を持ち、「他者だけが感じうる心の機微をも共有できる」ようになる。ここから功名心、嫉妬心などが生まれると知ると、ここまで来たのはよかったのかと言いたくなるが詮ないことだ。
続いて、文明と芸術は言語能力あってのものだという著者の研究の核に入る。重要なのは、人間の脳にある再帰性(単純な構造を繰り返す入れ子構造)が、芸術と言語を生んだと考えているところだ。
具体的には、言語の「木構造」だ。「彼と彼女の友人」は「彼と」「彼女の友人」か、「彼と彼女の」「友人」かを木の枝のような構造で区別するのである。これが新しい表現を無限に生み出し、創造力を生んだとする著者は、「芸術は言語と同時多発的に生まれた」と言う。そして文字は、読書という文化を育むには理想的だが、構造がないための危険性があり、それを補うのは芸術による他者への想像力の維持であるとする。
最後はAIである。AIを語るには、ここで紹介してきたような人間への考察が不可欠のはずであり、本書を紹介する理由はここにある。チェスや将棋でも、AIは大量のデータを用いて「最も得をする手を選ぶ」だけであり、そこに思考はない。生成AIも、「流れや文脈によって言外の意味を把握したり、相手の意図を推測したりすること」はない。人間と共にあるなら、言語と心が必須だが、現在のAIにはそれがないのだ。データベースを肥大化し、一方で「内部計算は解釈不能なままでブラックボックス化してしまい、サイエンスの対象からも逸脱」したのである。大丈夫なのだろうか。しかも、ロボットに対してSF作家、アシモフが提案した三原則のような、人間主体の約束事すらないのが現状だ。著者は、「脳科学の研究が進んで『人間らしい知性』の本当の意味を理解した時、その理想をAIに反映させればよい」と言う。心を持つスーパーインテリジェンスだ。現存のAIへの疑問に対する一つの解だが、私はこれも問題なしではなかろうと、次の問いを抱きながら本を閉じた。
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