書評
『サタンタンゴ』(国書刊行会)
本当の主役は? 語りの曲芸味わう
クラスナホルカイは昨年ノーベル文学賞を受賞したハンガリーの作家。『サタンタンゴ』(「悪魔タンゴ」の意味)は一九八五年に出版された彼のデビュー作だが、すでに並外れた才能が遺憾なく発揮されている。評者は読み進めるうちに暗澹(あんたん)たる気分に突き落とされ、自死する知的障害のある少女の姿に涙を禁じられず、その亡骸(なきがら)が天から降って来た白いベールに包まれて草地から天に昇って消えるシーンに呆然(ぼうぜん)とし、登場人物たちが織り成す奇怪な人間模様に何度も噴き出した。終末論的雰囲気の漂う暗い小説のようで、至る所に喜劇の種も埋め込まれている。
舞台は、すでに解散した農場の居住区。一部の人たちが将来の当てもなく居残っている。晩秋の長雨が始まり、人々はずぶ濡(ぬ)れで泥にまみれて、腐敗と悪臭の中を生きている。ここにいるのは一癖も二癖もある人たちばかりだが、一番の変人は自分の部屋に蟄居(ちっきょ)してひたすら蒸留酒(パーリンカ)をあおり、近隣の人たちの動静を一挙手一投足に至るまで克明に記録し続ける医師だろう。彼はそうして「崩壊しつつ永遠に増殖し続ける悪魔的体系に搦(から)め捕られ」ることに抵抗する。
荒(すさ)んだ喜びの乏しい生活の中でも性的欲望は衰えることなく、巨乳のシュミット夫人はほとんどすべての男たちを虜(とりこ)にし、喜んで不倫のセックスに身を委ねる。そして居酒屋では人々が夜を徹して飲んだくれ、アコーディオンの伴奏で狂ったようにタンゴを踊り続ける。じつはこの小説そのものがタンゴのような構造をしているのだ。前半の第一部は一章から六章まで普通に進み、後半の第二部になると六章から後戻りして、最後には一章で終わる。前進したかと思えば後退する、というのはタンゴのステップを意識したものだ。そして小説は最後に冒頭と寸分違わない文章を繰り返し始め、無限に閉じない円環を構成する。
そんな閉塞(へいそく)感漂う居住区で、男たちが農場の現金を横領して逃げようと企(たくら)んでいる最中、一年半前に死んでいたはずの謎めいた男とその相棒(大江健三郎なら「おかしな二人組」と呼ぶだろう)が戻ってくる。この男は復活した救世主なのか、希代のペテン師なのか、公安警察のスパイなのか。社会主義の末期に希望を失った人々が新たな希望を求めて我先にすがりつくこの人物にはカルト教団の教祖か、ポピュリスト政治家を思わせるところがある。
しかし、本書の本当の主役は、執拗(しつよう)に細部にこだわったかと思えば、奇抜な比喩や内的独白や卑俗な会話に転じ、視点を全知の語り手からさまざまな登場人物へ自在に切り替えていく語りの曲芸を繰り返しながら、改行なしでうねうねと続く長い文章なのかもしれない。文学的な系譜について言えばカフカ、ドストエフスキー、ベケットからラテンアメリカの魔術的リアリズムまで、様々な先行作品と呼び交わすようなところがある。しかし決して難しい前衛小説ではない。文章の流れにひたることが、そのまま小説を読む快感にもなる。このような原文を翻訳するのは並大抵のことではないが、早稲田氏の翻訳は原文の息遣いをよく伝えるものになっているに違いない、と感嘆しながら読み終えた。
世界文学の棚に新たに一人、すごい作家が付け加えられた。
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