読書日記
鹿島茂|文藝春秋「エロスの図書館」|『フォーチュンクッキー』『聖なる快楽――性、神話、身体の政治』『性体験』
まずは、女の性欲について
おそらく、後代の歴史家は、二十世紀末の日本を振り返って、こう記するにちがいない。「二十世紀末の性革命は、六〇年代のそれとは異なり、女による、女のための、女の性欲の肯定を特徴とした」と。事実、書店の性愛関係の書物を一瞥すると、男による男のための男の性欲に奉仕する従来型の本のほかに、「女による、女のための、女の性欲」を扱った本が目につく。進行中の第二次性革命は自らのドキュマンを必要とする段階に達したようだ。
この手の「女の性欲」肯定本は、共通した特徴をもっている。それは男女の性器を剥き出しの卑語で即物的に語ることだ。斎藤綾子の短編集『フォーチュンクッキー』(幻冬舎一四〇〇円/幻冬舎文庫四九五円)はその典型だ。
どんなに素晴らしいチンコをもっていても、持ち主がチンコに胡座をかいていたり、宝の持ち腐れで性に意欲がなかったりすれば、セックスはたちどころにつまらないものになってしまう。
愛よりも何よりも、真っ直ぐに女好きなスケベエな好奇心だ。それがマンコをグショグショに濡らし、満開のぼたんのようにパックリ見事に陰唇を開かせる(「求めよ、さればあたえられん」)
こうしたザッハリッヒ(即物的)な感覚は、男の情緒的ポルノ作家にも女流の子宮感覚の性愛作家にもなかったもので、これが斎藤綾子が若い女性にも人気がある秘密だろう。斎藤綾子にあるのは、性行為でもそれにまつわるイメージでもなく、ただただ「女の性欲」だ。女の性欲だけが他を圧して屹立している。ヤリたいからヤッたんだ! 文句あっか! 愛だとか恋だとかいった七面倒くさいことに女の性欲を回収されてたまるか。この、ほとんど爽やかとさえ言える性欲肯定からは、世紀末の新しいセックス哲学さえ生まれてくる。
女が自分の体を十分に堪能し、その恍惚の深さを知ってしまえば、遅漏男の十人や二十人、楽に相手にできる。いや、「もっとちょうーだいッ」というふうになるかもしれない(……)
だが、そうなると、男は自分専用の女をもてなくなる。つまり女ひとりに、ひとりの男じゃ足りなくなるのだ。女が複数の男と交わる、それが当然のことになれば、女の下半身はもはや男の管理するものではなくなる。財産は男の手からはなれ、誰の種だかわからない女の腹に宿った生き物に引き継がれてしまう(同)
要するに、女の性欲は男の性欲よりも強しという認識は、父権社会から母権社会への回帰をも可能にするということだ。
これと同じ認識を社会学的・人類学的な用語で語ったのがアメリカン・フェミニズム第一世代のリーアン・アイスラーの『聖なる快楽――性、神話、身体の政治』(浅野敏夫訳 法政大学出版局七六〇〇円)。先史時代までの性構造の変化を概観した膨大な研究書だが、言っていることは案外単純である。すなわち、男による女の支配は、男が女の性欲を恐れてこれを様々な形で抑圧したところから生まれる。したがって、こうした支配形態社会を打破するには、女の性欲を男の性欲と等価に置く性革命を成し遂げ、性の協調形態社会を実現しなければならない。
ただ、全体的な印象からいえば、アイスラーの主張はその根底にユダヤ・キリスト教的な「愛」というものを置いている分だけ、斎藤綾子などよりも穏健である。ゆえに、アイスラーのいうような性革命が「神なき国」の日本で可能かどうかは疑問だ。
いっぽう、同じアメリカン・フェミニズムでも、第三世代に属するナオミ・ウルフとなると、六〇年代の性革命の影響を直接に被ったジェネレーションなので、女の性欲を認める社会の実現という問題に関して、『性体験』(実川元子訳 文藝春秋二三八一円)の中で、具体的なサジェスチョンを提示する。というのも、女の性欲を単に観念的なレベルで肯定するというだけでは、解決できない問題があるからだ。
性革命後の社会では、少女から女に変身するのは、かえって難しいとウルフは言う。なぜなら、処女を早めに捨てなければカマトト扱いされるし、かといって社会の解放度を信じて性体験を積めば「誰とでも寝るあばずれ」と後ろ指さされるからだ。
それだけではない。初体験の容易さは、ある種の心的ショックさえともなう。ウルフは初体験を振り返ってこういう。
これでおしまい?私は最初から最後までを反芻し、拍子抜けしてつぶやいた。ほんとにこれでおしまい?(……)「私の処女ってこんなに価値がないものだったの?」
なぜ、こうした驚きが生じるのか? 性的幻想と現実の落差が大きすぎるからなのか。それもある。だが、それだけではない。処女喪失のあっけなさは、少女から女への通過儀礼が廃絶されたにもかかわらず、それに代わるべきものがいまだに用意されていないことからくる。性革命後の社会では、少女が女になる決定が少女自身に任されているのに、そのための手助けをしてくれるものがいない。性欲を肯定し、それへの準備をする教育はなされていない。
たぶん女性たちは本当に、強い性欲を持った神秘的な存在なのである。
(……)過去に見られたように、女性の欲望を抑えつけないこと。今日よく耳にするように、女性を嘲笑して、その欲望をジョークのタネにしておとしめないこと。そのかわりに女性の性欲を私たちの文明の中に組み入れること。女性の性欲の本質を正直に認めないと、社会の破滅を招くだろう
私はフェミニストではないが、この提案には賛成だ。「神なき国」日本での性革命の進行度は思っているよりもはるかに速い。ゆえに、破滅もまた近いのである。
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