読書日記
黒田龍之助『ロシア語だけの青春』(現代書館)、伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス』(岩波書店)
外国語学習に王道なし、「ライシテ」解釈の多様性――週刊文春「私の読書日記」より
×月×日
現在の勤務校に移る前、私は三十年以上も語学教師だった。そんな私が引き出した教訓は「やる気のない学生に初級外国語を教えるのはこの世の地獄だが、やる気のある学生に初級外国語を教えるのはこの世の天国である」というもの。語学や言語学に関する名エッセイストとして知られる黒田龍之助の『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』(現代書館 1500円+税)は「ミール・ロシア語研究所」という「天国」のような例外的語学学校で学んだ青春の回想である。高校生だった著者は一念発起してロシア語学習を志し、チェコ語の大家の薦めで東一夫・多喜子夫妻の運営する「ミール・ロシア語研究所」に入学、ロシア語浸けの世にも幸せな日々を送る。では、噂に聞く「ミール」の教育法というのはどのようにユニークなものだったのか? これが案に相違して、恐ろしくオーソドックスなものだったのである。
まず、入学者が徹底的にたたき込まれるのがウダレーニエ(ロシア語の単語で音節のどこか一カ所が他に比べて強く長目に発音されること)。「ペラペラと流暢であればよいというものではない。むしろその反対で、ミールでは一つひとつの音を正確に発音することが求められる。(中略)一つひとつの音を丁寧に発音し、さらにはイントネーションにも気を遣う。(中略)わたしは、発音矯正の本質がここにあると信じている。発音はネイティブに習うより、日本人の専門家から指導されたほうがいい」。
ミールではこうした発音練習を「音を作る」と呼んでいた。言語は音がなければ言語ではない。だから音から作る必要があるのだ。
ミールの入門科で使われていた教科書は東夫妻の執筆した『標準ロシア語入門』(白水社)である。授業は基本例文と応用例文を順番に発音してゆき、単語テストの後は露文和訳、それが終わると和文露訳。次いで、その日の内容を応用しながら先生の質問にこたえたり、生徒同士で会話し、最後は次の課の単語だけを発音する。なんと、普通の語学学校とまったく同じではないか? どこがユニークなのだろうか?
ミールの特徴は、①少人数であること。②同じ教員が週に二回教えることのほかに、③暗唱を徹底させたこと。暗唱こそがミールの本質だったのだ。
話せるようにならないのは、訳読が悪いのではない。その後に暗唱しないからである。どんなテキストにせよ、訳出した後に口頭で、日本語から外国語へ訳す練習をすれば、必ず実力がつく。家で辞書を引いてくる作業は、外国語学習の準備にすぎない。和訳を確認したあとで暗唱するのが勉強であり、教師はそれをサポートするのが任務である。
だが、大学のような大教室での授業ではそれは無理である。教師が面倒がらずに生徒の暗唱につきあってやることができるのは少人数の教室に限られる。
だからこそ、ミールのような専門学校が必要なのである。先生が面倒くさがらず、熱心に生徒の暗唱につき合ってくださるのだから(中略)生徒もしっかり予習して、それに応えるしかない。
外国語に何度チャレンジしてもダメな人、英語教育改革の旗振り役を務めようとしている人、いずれも必読である。語学に王道はない。必要なのは暗唱と少人数授業、それに熱心な先生だけなのである。
×月×日
二〇一五年一月にシャルリー・エブド事件が起こったとき、私はたまたまパリに居合わせ、テレビで侃々諤々の議論を展開する論客の意見に耳を傾けていたが、驚いたことに、ライシテ(公的空間から宗教性を排除する政教分離原則)を見直そうという論者は一人もいなかった。フランスがライシテを中核的な統合概念とした「一にして不可分原則」の共和国であることに疑いを差し挟む者は皆無で、議論はライシテ原則の解釈を巡るものにすぎなかったのである。しかし、その解釈というのがどのようなものかとなると、正直、よくわからなかった。カトリック排除の左派の原理だったライシテがいまやイスラーム排除を狙う右派の原理として機能しているようにも思えるのだが、必ずしもそうともいえず、左派にも元首相のヴァルスのような原理的ライシテ派がいるし、右派にもジュペのようなリベラル・ライシテ派がいる。大統領となったマクロンは「調整の余地を認める」ライシテ派である。日本人にとって理解しにくい限りだが、伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス――政治と宗教のいま』(岩波新書 840円+税)を読むと「ライシテがけっして一面的なものではなく、歴史のなかで多様なあり方をしてきたこと、現在においても多面的な複合体であること」がよくわかる。
まず興味深いのは、共和派が第三共和政期にカトリックと戦ってライシテ原則を確立する過程で、反宗教的なライシテを退けて信教の自由を保障するという柔軟路線に転じ、迂回的な予算措置を講ずることでカトリックをいわば内側に取り込むことに成功したという指摘である。カトリック側でもこのライシテを受け入れた結果、「宗教と政治の領域を峻別する『分離のライシテ』から宗教の社会的・公共的な役割を認める『承認のライシテ』への移行」が行われた。この体制をカト=ライシテと呼ぶ。
カト=ライシテはやがてマジョリティの論理となり、一九七〇年代までは安定していたが、ムスリム系移民の増加とともに軋みを生むようになる。そのきっかけとなったのが一九八九年に勃発したイスラーム・スカーフ事件。
パリ郊外の「共和国の学校」に通う「ムスリムの女子生徒」がイスラーム・スカーフをかぶって登校したので教員がライシテ原則に照らしてこれを禁じたという、日本人からみればささいな出来事が国論を二分する大論争に発展したのだ。教育大臣宛ての連名の書簡を雑誌に発表したライシテ原理主義の五人の知識人は、スカーフ事件を「宗教的な『共同体主義』から個人を『解放』する闘争」と認識し、一切の妥協を許してはならない「共和国の学校のミュンヘン」であると見なした。
これに対してライシテの原理主義的適用による移民統合政策こそナチスの傀儡政権ヴィシーの再来だとするリベラル派が猛反発した。
この二十世紀のドレフュス事件は二〇一五年のシャルリー・エブド事件以後、規模を拡大して再燃し、今日に至っているのだが、本書が画期的なのは「フランスのムスリム」自身によるライシテの多様な解釈が多く紹介されていることである。
すなわち女性では、ライシテをイスラーム女性救済の原理と見なしてイスラームの抑圧性を告発するライシテ原理主義者のシャードルト・ジャヴァンから、ライシテによる同化主義の虚偽を暴くフーリア・ブーテルジャまで、また男性では、共同体主義に拠らずともライシテを多少変更すれば「ライシテのなかのムスリム」でいることは可能と説くタリク・ラマダンから、イスラーム原理主義スーフィズムの普遍主義によってこそライシテ原則を鍛え直すべしというラップ歌手アブダル・マリクまで、なんともバラエティに富む意見が拾われている。
私はこれらの多様な意見を読んで、思想の一元化に向かう「忖度の国」に比べて、フランスはなんと健全な国であろうかと嘆息せざるをえなかった。共和国のライシテ教育、すなわち、宗教とは無関係に「考える方法」を徹底的に教え込む世俗教育があるからこそ、「フランスのムスリム」も自分の頭で考え、こうした多様な意見を発表できるようになったわけである。遠からず、フランスはライシテ原則により、イスラームも呑み込んで、「多様性の再統合」を遂げるであろう。そんな希望に満ちた予言をしたくなる本である。
ALL REVIEWSをフォローする