コラム
林 芙美子『放浪記』(新潮社)、宮本 常一『忘れられた日本人』(岩波書店)、甘糟 幸子『野の食卓』(中央公論新社)
散歩に持っていく本
散歩は家事と並んで仕事の中仕切りである。仕事が一つ終わると、立ち上がってクチュクチュとガス台を拭いたり、ポケットに文庫本を入れ町に出る。こうすると憑き物が落ちて身が軽くなる。幸い、歩いて楽しい道と、座って本をよむ窪みには恵まれた町である。持って歩く本は古今東西いろいろだけれど……。
中学生のとき買って三代目の林芙美子『放浪記』(新潮文庫)。フミコさんはお腹をすかせて根津の町を歩いていた。
米を一升買いに出る。ついでに風呂敷をさげたまま逢初橋の夜店を歩いてみた。剪花屋、ロシヤパン、ドラ焼屋、魚の干物屋、野菜屋、古本屋、久々で見る散歩道だ。
いまと同じ就職氷河期にあえいでいた二十年前の私は、フミコさんとともに歩き、いせいよく悪態をつくことで、どんなに心の飢えをいやしただろう(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年頃)。
よく持って歩くのは詩集と聞き書きの本。宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)はお寺の境内で読むといい。盲目のバクロウが「かわいがったおなごの事」を語る「土佐源氏」。
「女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持になっていたわってくれるが、男は女の気持になってかわいがる者がめったにないけえのう」
お地蔵様に陽が当たる。セルロイドの風車はからからと回り、日陰が刻々うつろう。語りの声が耳底にかすかに響く。
町の植物を覚え、あわよくば食べたい。甘糟幸子『野の食卓』(中公文庫)が頼り。秋はおいしい草はないけれど、墓地でむかごを取ってご飯に炊く。キンモクセイの木に傘をさかさにぶらさげ、ゆすって花をいただき、お酒につけることもこの本に教わった。こういうとき、私は「別の場所へではなく、別の時間に」歩いているのである。
【このコラムが収録されている書籍】
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初出メディア

初出媒体など不明 1993年~1996年
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