書評
『楽園後刻』(集英社)
ひとが生き、老い、死んでいく「場所」
鎌倉観光の娘たちが道をふさいでいるのを見ると動物的な唸(うな)り声をあげて洋傘(ようがさ)で追い払う老女がいる。「鎌倉の妖怪」と娘たち。Tシャツにコカ・コーラの英字を染めた、そんな娘たちの背中に老女は「アメリカかぶれ!」と罵声(ばせい)を浴びせる。逸子、八十四歳。ドイツ大使館勤めの夫とともにナチス・ドイツはなやかなりし戦中は「お洒落(しゃれ)な生活」を過ごし、戦後は零落。夫に先立たれてからはお手伝いさんをしながら天音寺裏の古家で孤独な老年を迎えている。
逸子には鎌倉育ちの(義理の)姪(めい)がいる。菊子、六十歳前後。少女時代うっ屈すると、当時はまだ広かった逸子の家の桜の巨木を見にきた。某日、思い立って菊子は同年輩の信子を花見に誘う。が、かつての桜は消えて庭は墓地となり、逸子の廃屋じみた家だけが取りのこされている。
ガラス窓ごしに屋内を覗(のぞ)く。ドイツ製の柱時計、堅牢(けんろう)な家具、ノイシュヴァンシュタイン城の複製写真。記憶がほぐれてゆく。二匹いたドーベルマン、露台の葡萄(ぶどう)や、逸子のもてなしてくれた香りの高い珈琲(コーヒー)……。現実の室内には剥(は)がれたペンキが紙テープのように天井からぶら下がってゆらめいている。
舞台は鎌倉だが、いわゆる古都鎌倉ではない。上述の三人の女たちそれぞれの現実の生活の場、ということは、そこで生き、老い、死んでゆく場所としてのどこにでもあるどこかだ。だから逸子は廃屋の台所で孤独死を遂げ、菊子一家は夫の譲二の勤め先倒産とともに積み木細工が壊れるようにあっけなく崩壊し、菊子自身も癌(がん)を病んで世を去る。残された信子は誰も避けることのできない老いと死に向かって歩みだす。その耳にチエホフ『桜の園』の倒れる響きがエコーしたことだろう。
作者は著名な野生植物エッセイスト。それだけに正確な植物観察が目の随所に行きわたり、老年にさしかかった女たちの物語というのに、花と草木に埋めつくされて、古木に咲いた桜花のようにかぐわしくみずみずしい。
朝日新聞 2004年7月4日
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