書評
『パースの城』(国書刊行会)
パース伯爵の夫人イサベルは男と女の双子を出産するが、夫はそれを不義の子を決めつけ、どちらかを犠牲にすることを要求する。イサベルは息子を差しだし、その子は海に投げこまれるが、妖精に助けられ、遠くアジアまで運ばれる。成長した彼は皇帝となり、軍を率いてパース城を攻めおとしにやってくる。そこに、アジアの皇帝をめぐるイサベルとその娘ベアトリス(そう、やはり彼女はベアトリスだったのだ)との確執や、パース伯爵にまつわるもうひとつの復讐譚がからんでいく。
ダゴベルトは通りすがりに、この愛憎劇にまきこまれたかたちだが、そうとも言いきれない。ひとつに、これが青年の見ている夢であり、そこで演じられている愛憎劇は、彼の心の深層と切りはなせない関係にあること。もうひとつは、アジアの皇帝がほかならぬダゴベルトであるということ。ただ、その皇帝ダゴベルトと、夢に引きこまれた主人公のダゴベルトが、まったくの同一人物というわけではない。ここにも夢特有の論理が作用していて、あるときは彼自身が皇帝として扱われ、またあるときはただ容貌が似ているだけと断じられ、ときには鏡に映った分身であり、あるいは時を隔てた生まれかわりと解釈することもできる。
イサベルは、ダゴベルトとベアトリスにむかい、「あと八百年たったら、あなたがたも晴れて愛しあうことができてよ」と告げる。つまり二十世紀、少年と少女として出会うふたりのことだ。もしかすると、この物語は夢などではなく、十二世紀に実際におこった事件であり、その因縁が二十世紀にめぐってきたのではないか? 現実と虚構、過去と現在が、くるりと反転する。
イサベルとアジアの皇帝は、パース城を攻める作戦を、鳩に託してやりとりしているのだが、その手紙はベアトリスの手のなかで、新聞の切れ端に変わる。そう、あの死亡記事が掲載された新聞だ。また、主人公の行く先々であの長椅子があらわれるが、それは彼を現実の世界につなぎとめるようでもあり、またさらなる夢へいざなうようでもある。ガラスの身体を持つ悪魔、黄金の光を放つ龍、遠い地のできごとを映しだす鏡など、ゴシックロマンスの意匠の底に、こうした仕かけを忍びこませたところに「夢の文学」たる質がある。
【この書評が収録されている書籍】
ダゴベルトは通りすがりに、この愛憎劇にまきこまれたかたちだが、そうとも言いきれない。ひとつに、これが青年の見ている夢であり、そこで演じられている愛憎劇は、彼の心の深層と切りはなせない関係にあること。もうひとつは、アジアの皇帝がほかならぬダゴベルトであるということ。ただ、その皇帝ダゴベルトと、夢に引きこまれた主人公のダゴベルトが、まったくの同一人物というわけではない。ここにも夢特有の論理が作用していて、あるときは彼自身が皇帝として扱われ、またあるときはただ容貌が似ているだけと断じられ、ときには鏡に映った分身であり、あるいは時を隔てた生まれかわりと解釈することもできる。
イサベルは、ダゴベルトとベアトリスにむかい、「あと八百年たったら、あなたがたも晴れて愛しあうことができてよ」と告げる。つまり二十世紀、少年と少女として出会うふたりのことだ。もしかすると、この物語は夢などではなく、十二世紀に実際におこった事件であり、その因縁が二十世紀にめぐってきたのではないか? 現実と虚構、過去と現在が、くるりと反転する。
イサベルとアジアの皇帝は、パース城を攻める作戦を、鳩に託してやりとりしているのだが、その手紙はベアトリスの手のなかで、新聞の切れ端に変わる。そう、あの死亡記事が掲載された新聞だ。また、主人公の行く先々であの長椅子があらわれるが、それは彼を現実の世界につなぎとめるようでもあり、またさらなる夢へいざなうようでもある。ガラスの身体を持つ悪魔、黄金の光を放つ龍、遠い地のできごとを映しだす鏡など、ゴシックロマンスの意匠の底に、こうした仕かけを忍びこませたところに「夢の文学」たる質がある。
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