書評

『ドン・リゴベルトの手帖』(中央公論新社)

  • 2025/09/25
ドン・リゴベルトの手帖 / マリオ・バルガス=リョサ
ドン・リゴベルトの手帖
  • 著者:マリオ・バルガス=リョサ
  • 翻訳:西村 英一郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(425ページ)
  • 発売日:2012-12-20
  • ISBN-10:412205737X
  • ISBN-13:978-4122057371
内容紹介:
美少年フォンチートの無邪気な奸計のため別居を余儀なくされたリゴベルト夫妻。夫は夜ごと幻想と追憶のはざまで美しい妻を追い求め、妻は少年によってオーストリア絵画の眩惑世界へ誘われる。『継母礼讃』に続き、さらに巧緻に、さらに奔放に描かれる多彩な物語。そしてすべては意外な大団円へ。
妻を亡くした資産家リゴベルトの後添えに入ったルクレシアが、年端もいかない義理の息子アルフォンソと肉体関係を持ってしまう。ラテンアメリカを代表する作家バルガス=リョサの『継母礼賛』(福武書店)は、ギリシャ悲劇の昔からある母子姦通の主題を現代に蘇らせ、性を常識や卑俗や隷属のくびきから解き放つ、中篇ながらも作家の意欲を感じさせ力強い作品だった。それから約十年を経て書かれた『官能の夢』は、その後日譚にあたる。

アルフォンソが二人の関係を父親に明かしてしまったせいで、リゴベルトとの別居生活を余儀なくされているルクレシア。その彼女の元に裏切り者のアルフォンソがのこのこ訪ねてきて仲直りを迫る――というシーンから始まるこの物語は、各章が①ルクレシアとアルフォンソのやりとり、②リゴベルトが記す書簡風の覚え書き、③リゴベルトの性的妄想、④短い手紙、から構成されており、その対位法的テクニックが効いている。①天使と悪魔双方の貌(かお)を持つアルファン・テリブルの魅力並びに物語の筋、②セックスから政治、芸術まで、この世界を構成するすべての事象において個の自由に規範を求めるリゴベルトの思索を通した知的遊戯、③リゴベルトのルクレシアに対する妄想が生み出す幻想的なエロティシズムの極致、④誰が何の目的で書いているのか判然としない手紙に仕掛けられた罠。各章の各パート、それぞれに読み応えがあり、性三位一体ともいうべき“幸福”な家族像を通してセックスを聖なる独創の高みへと押し上げる、五感すべてに刺激を与えてやまない小説なのだ。

動物を加えたセックスやスワッピング、放尿、レズビアン、フェティシズム等々、性行為博覧会とでも呼びたくなるほどヴァリエーション豊かな快楽が美しいイメージで綴られる③のパートは、それ自体短篇小説として成立するほどハイレベル。が、個人的にもっとも楽しんだのは②のパートだ。頑迷なフェミニストにはフェミニズムそのものが人間の自由を抑圧する思想であると説き、健全な精神を標榜するスポーツマンの頭の悪さや非創造性を糾弾し、世に存在するすべての集団の偽善を暴き、隣家の女性の裸を窃視して捕まった脇毛フェチ男の偏愛症ぶりを讃え、「プレイボーイ」のごとき安っぽいポルノ雑誌を一刀両断にする。リゴベルトの決めつけ激しい知的毒舌の痛快さといったら! こういうキレもあれば芸もある評論には、滅多にお目にかかれるものではない。そして、自身をエゴン・シーレの生まれ変わりに見立てる邪悪な聖少年アルフォンソのキャラクターがまた素晴らしいこと。すべての少年フェチの皆さんに自信をもってお薦めできる上玉なのだ。

妄想なきところに創造なし。わたしは常々、セックスレス症候群の原因には、映像しか摂取できない若者の想像力欠如化傾向も関係しているのではないかと怪しんでいるのだが、妄想が最上のエロティシズムを生み出すことを証明した『官能の夢』を読んで、その意を強くしたところなのである。

【単行本】
官能の夢: ドン・リゴベルトの手帖 / マリオ バルガス=リョサ
官能の夢: ドン・リゴベルトの手帖
  • 著者:マリオ バルガス=リョサ
  • 翻訳:西村 英一郎
  • 出版社:マガジンハウス
  • 装丁:単行本(349ページ)
  • 発売日:1999-11-01
  • ISBN-10:483870979X
  • ISBN-13:978-4838709793
内容紹介:
美貌の人妻ルクレシア、至上の美を求める夫リゴベルト、そして聖なる少年フォンチートの三者がつくる世界を対位法的な構成で描く、巧緻を極めたエロティックな物語。「継母礼讃」の続編。

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【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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ドン・リゴベルトの手帖 / マリオ・バルガス=リョサ
ドン・リゴベルトの手帖
  • 著者:マリオ・バルガス=リョサ
  • 翻訳:西村 英一郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(425ページ)
  • 発売日:2012-12-20
  • ISBN-10:412205737X
  • ISBN-13:978-4122057371
内容紹介:
美少年フォンチートの無邪気な奸計のため別居を余儀なくされたリゴベルト夫妻。夫は夜ごと幻想と追憶のはざまで美しい妻を追い求め、妻は少年によってオーストリア絵画の眩惑世界へ誘われる。『継母礼讃』に続き、さらに巧緻に、さらに奔放に描かれる多彩な物語。そしてすべては意外な大団円へ。

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初出メディア

マグレター(終刊)

マグレター(終刊) 2001年2月号

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