書評
『美味礼讃』(文藝春秋)
オムレツを私一人のために焼き「料理天国」見ている夕べ
こんな短歌を作ったことがある。「料理天国」は、まことに贅沢なグルメ番組。テレビ画面の中で、毎週毎週ためいきの出るような料理を作っていたのが「辻調理師専門学校」の先生たちだった。
辻静雄という人物が、いかにしてフランス料理と出会い、調理師の専門学校を築いたか――本書は、その半生を描いた伝記小説である。
きっかけは偶然だった。新聞記者時代にひょんなことで知り合い、結婚した明子夫人。
その父親が、料理学校を経営していたのである。といっても、単にその後継ぎをしたというのではない。彼は、主婦と花嫁修行のお嬢さん相手の料理学校にあきたらず、本職の調理師を育てることを考えた。ここからは、もう偶然ではない。
今でこそ私たちは、フォアグラやトリュフと聞いて「何、それ?」とは思わない。(充分に味わったことがあるかどうかは別として)が、辻調理師学校がスタートした昭和三十五年ごろ、日本の一流ホテルのレストランで「フランス料理」と称して出されていたものは、非常にいい加減なものだった。
アメリカ人の書いた二冊の書物によってそのことに気づいた辻静雄は、直接その著者に会いに行き、アドバイスを受け、次はフランスの一流レストランで味を覚える旅を続ける。
その行動力と未知にかける勇気と、そして素晴らしい出会いの数々。
「出会い」とは、まずもちろん、ほんもののフランス料理との出会いである。読んでいるだけでもう生唾ゴクリの料理が、これでもかこれでもかというくらい登場してくる。「料理天国」のような映像がなくても、こんなに食欲が刺激されてしまうんだなあと、言葉の力にあらためて驚いた。
そしてもう一つの大きな出会いは、フランス料理店の女主人や一流のシェフたちとの出会いである。フランス料理という一つの文化が、日本に伝わる初めの第一歩。国と国との文化交流という大きなできごとも、人間と人間との心暖まるやりとりから始まるのだ。
このように本書は、読んでおいしい料理小説であると同時に、いろいろなメッセージを持っている。短歌を作りはじめたころ師匠から「とにかく古典から現代まで、たくさんの短歌を読め」と言われたことを思い出した。短歌グルメの旅である。何かを身につけるためには、ほんものの味を覚えなくてはならない。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞
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