書評
『四人の交差点』(新潮社)
人を狂わせ、家を崩壊させる秘密
評者は現在、フィンランドがマイブームだ。フィンランド発の心理療法に入れ込んで、この9月には現地を訪問してきたばかり(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年10月)。トーベ・ヤンソンのムーミン以外の小説を読んだり、シベリウスの交響曲を聞いたり、マリメッコのシャツを着たりと忙しい。本書を手に取ったのもそのブームの延長線上だった。この新鋭作家のデビュー作は、2014年の発表直後にフィンランドのベストセラー第1位となり、数々の文学賞を受賞したという。フィンランド人の琴線にそれほどふれる小説とは一体どんなものだろうと読み始めてみた。
物語は、2番目の主人公ラハヤの臨終シーンからはじまる。彼女のさまざまな記憶の断片が交錯する導入部は、いささか謎めいている。物語の舞台は、フィンランド北東部の小さな村。最初の主人公は、はじめて1人で難産に立ち会おうとする、若い助産師マリアだ。彼女は自立心が旺盛で、その後多くの出産に立ち会いながら地域の信頼を勝ち取り、その稼ぎで家を建て、未婚のまま娘を産んだ。
マリアの物語は、その娘ラハヤに受け継がれる。写真館を営むラハヤは夫オンニと3人の子供と暮らしている。オンニはフィンランドがドイツ軍とともにソ連軍と戦った「継続戦争」に出征し、勲章を授与されて帰ってきた。家庭では優しい夫であり理想的な父でもあるオンニには、誰にも言えない重大な秘密があった。その秘密がラハヤを苛立(いらだ)たせ、口やかましい老女として家族から疎まれる存在に変えていく。ラハヤの息子の妻であるカーリナは、強権を振るう姑(しゅうとめ)・ラハヤとしばしば対立しながらも、「家」の淀(よど)んだ空気を入れ換えようと健気(けなげ)に戦う……。
北欧の小説らしく、物語の中心に「家」がある。登場人物のそれぞれが、家への独特の執着を持っている。マリアは資産を増やしては増築を繰り返して家を水平に拡張するが、オンニは家を自力で建てながら、垂直に高めようとする。家具や料理の細やかな描写や、嫁と姑の対立などは、日本人読者にも親しみやすいだろう。内向的で孤独を好むという国民性は物語にも反映されている。なにしろ、家族以外の重要な登場人物がほぼ出てこないのだ。
物語の終盤ちかく、オンニの秘密が明かされて以降、語り口は一気に加速する。この悲劇には、ロシアなどによって侵略を繰り返されてきた小国フィンランドの悲哀や、この国においてある種の愛の形が1980年代まで非合法であったという政治的な背景が関わっている。すべてのピースが結びつくラストシーンから、もういちど冒頭シーンに戻ってみよう。物語の円環を閉じる小説家のみごとな手際に、思わず感嘆の声が漏れるはずだ。
登場人物の誰もが口をつぐみ、心の秘密を墓場まで持っていこうとする。心の傷や家族への思いやりがそうさせるのだが、秘密は人を狂わせ、ついには家を崩壊させる。この国において画期的な心理療法「オープンダイアローグ」(開かれた対話)が生み出されたのは、ある種の必然でもあったのだろう。
そう、もし彼らが「対話」していたら。問題は解決したかもしれない。しかし一家は早々と離散してしまい、小説は書かれなかったかもしれない。そのどちらが世界にとって素晴らしいことかは、それほど簡単な問いではない。それでも評者は治療者として、彼らにどんな「対話」がありえたかを夢想せずにはいられない。(古市真由美訳)
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