書評
『昭和遺産な人びと』(新潮社)
泉麻人さんの「ノスタルジーもの」の本は好んで読んでいるが、そのたびにウッスラと不思議な気持になる。
泉さんと私では、世代が一昔ほど違う。それなのに、そのノスタルジーにはほぼ共感してしまう。ほとんど異和感がない。今回の新刊『昭和遺産な人びと』(新潮社)を読んでも、そう思った。
ソバの出前持ち、インドリンゴ、ハエ取り紙、赤チン、アメリカシロヒトリ、先割れスプーン、御用聞き、オート三輪……など、昭和三十年代から四十年代前半の頃のノスタルジーもの。今回はそれを作ったり売ったり実演したりした人たちを訪ねて、当時の事情を聞き出しているところが目新しい。巷の、ポップな『プロジェクトX』だ。
さすがに私は先割れスプーンは使ったことのない世代だが、それ以外のどれに関しても懐しさをかきたてられた。あの頃は日本の社会構造が大きく変化して行った時代のはずなのだけれど、ごく身近な生活の変化はよりゆるやかなものだったのだろうか。それとも著者の幼少時の記憶が鮮明すぎるのだろうか。
全二十四話の中で私が最も興味深く読んだのは、「第十六話『ゴミ箱』のいた町角」だ。
ある日、著者は麻布近辺の路地で朽ち果てた古いゴミ箱を発見する。懐しさにかられ、東京都に問い合わせ、当時清掃局に勤めていた人からゴミ箱の故事来歴を聞き出す。そして、あのゴミ箱の原形は明治三十三年、汚物掃除法によって生まれた塵芥箱であること。戦前は木製で、商店街の表通りにもズラッと並んでいたこと。ゴミ箱が都内から一掃されたのは、ちょうど昭和三十年代から四十年代への変わり目にあたること。皮肉にも、その直後に、ゴミ処理場・夢の島でハエの大発生騒動が起きたこと……。
ゴミ箱はあまりにも身近であるために、かえって人びとの記憶にも記録にも残りにくい。けれど、それを目にした時は意外なほど懐しく、記憶の喚起力が強いものだ。TVドラマ嫌いの私が久世光彦ドラマは見るというのも、以前、ゴミ箱に(大げさなようだが)感動したからだ。物語の中心である一家庭の家の入口わきに、何気なく木のゴミ箱が置かれていた。それは私には何よりも強く、その一家の生きた時代(戦前昭和)を感じさせたのだった。
著者は明らかにノスタルジーもののマニアだけれど、マニアにありがちな暑苦しさはない。自分が生まれ育った昭和三十年代への愛着を語っても、それを絶対視することはない。愛はあっても、信仰はない。しつこいわりには醒めてもいる。生活風俗にしても町にしても、人間の作り出したものは必ず移り変わって行く。消えて行き、死んで行く。そういう、一種の諦観というか見きわめがある。そういう著者の醒めかたは第十話の「『昭和三十年代信仰』を考える」を読むとよくわかる。
涼しげなマニア性。そこが泉麻人のノスタルジーものの貴重さであり、快さだ。
【この書評が収録されている書籍】
泉さんと私では、世代が一昔ほど違う。それなのに、そのノスタルジーにはほぼ共感してしまう。ほとんど異和感がない。今回の新刊『昭和遺産な人びと』(新潮社)を読んでも、そう思った。
ソバの出前持ち、インドリンゴ、ハエ取り紙、赤チン、アメリカシロヒトリ、先割れスプーン、御用聞き、オート三輪……など、昭和三十年代から四十年代前半の頃のノスタルジーもの。今回はそれを作ったり売ったり実演したりした人たちを訪ねて、当時の事情を聞き出しているところが目新しい。巷の、ポップな『プロジェクトX』だ。
さすがに私は先割れスプーンは使ったことのない世代だが、それ以外のどれに関しても懐しさをかきたてられた。あの頃は日本の社会構造が大きく変化して行った時代のはずなのだけれど、ごく身近な生活の変化はよりゆるやかなものだったのだろうか。それとも著者の幼少時の記憶が鮮明すぎるのだろうか。
全二十四話の中で私が最も興味深く読んだのは、「第十六話『ゴミ箱』のいた町角」だ。
ある日、著者は麻布近辺の路地で朽ち果てた古いゴミ箱を発見する。懐しさにかられ、東京都に問い合わせ、当時清掃局に勤めていた人からゴミ箱の故事来歴を聞き出す。そして、あのゴミ箱の原形は明治三十三年、汚物掃除法によって生まれた塵芥箱であること。戦前は木製で、商店街の表通りにもズラッと並んでいたこと。ゴミ箱が都内から一掃されたのは、ちょうど昭和三十年代から四十年代への変わり目にあたること。皮肉にも、その直後に、ゴミ処理場・夢の島でハエの大発生騒動が起きたこと……。
ゴミ箱はあまりにも身近であるために、かえって人びとの記憶にも記録にも残りにくい。けれど、それを目にした時は意外なほど懐しく、記憶の喚起力が強いものだ。TVドラマ嫌いの私が久世光彦ドラマは見るというのも、以前、ゴミ箱に(大げさなようだが)感動したからだ。物語の中心である一家庭の家の入口わきに、何気なく木のゴミ箱が置かれていた。それは私には何よりも強く、その一家の生きた時代(戦前昭和)を感じさせたのだった。
著者は明らかにノスタルジーもののマニアだけれど、マニアにありがちな暑苦しさはない。自分が生まれ育った昭和三十年代への愛着を語っても、それを絶対視することはない。愛はあっても、信仰はない。しつこいわりには醒めてもいる。生活風俗にしても町にしても、人間の作り出したものは必ず移り変わって行く。消えて行き、死んで行く。そういう、一種の諦観というか見きわめがある。そういう著者の醒めかたは第十話の「『昭和三十年代信仰』を考える」を読むとよくわかる。
涼しげなマニア性。そこが泉麻人のノスタルジーものの貴重さであり、快さだ。
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