書評
『大統領のクリスマス・ツリー』(講談社)
出会いを無にしない別れの物語
留学先のアメリカで知り合い、治貴と香子は結婚し、十年という年月が流れた。弁護士事務所で活躍する夫、幼稚園に通う娘、ワシントン郊外の瀟洒(しょうしゃ)な家、犬、車……。かつて思い描いていたとおりの生活が現実のものとなり、香子は、これは夢を見ているのではないか、と思うほどである。今、娘を日本の両親に預けた二人は、これといった行き先もないドライブをしている。香子の脳裏には、一枚の布を織りあげるように築いてきた二人の歴史が、鮮やかに浮かぶ。貧しかった日々、日本の両親に反対された結婚、治貴の複雑な家庭、香子の流産……。がむしゃらな毎日のなかで、二人は「チーム」から「家族」になったのだ、と香子は感じる。
香子の目を通して描かれる治貴は、とても魅力的だ。ささいなケンカの種から両親を説得する言葉まで、エピソードがとても具体的で心にしみるものなので、読者も二人と一緒に、厚みのある布を織ってゆくことができる。そして香子と同じように、「治貴の言葉が好きなのではなく、そういう言葉を使う治貴が好き」と思わせられる。(この、香子の感じかたが、またいいなあと思う)
物語はしかし、じわじわと不吉な影をしのばせてくる。香子が今、いかに満たされているかを自分自身に確認するたびに、読者は予感するはずだ。「このままで終わるはずがない」と。
結果を言うと、やはりそのままでは終わらないのだけれど、作者は、ほんとうにぎりぎりのところまで、このままで終わらせようとしているかのようにも見える。つまり、「終わらせない」ことよりも、「このままの『この』の部分」を、作者は書きたかったのではないだろうか。
男女が出会い、歴史を紡ぎ、そして別れてゆく。けれど別れは、その歴史を無にするものではない。むしろ、それを無にしないために選ばれる別れもあるのだ――香子が選んだ答えは、そんなことを考えさせてくれる。
二人の出会いの場面に登場した「大統領のクリスマス・ツリー」が、一つ一つのエピソードの鈴で飾りつけられ、ラストシーンでは象徴的なものとして描かれる。胸がきゅっとするような美しさと、せつなさをもって。
「強(こわ)い心」ではなく「強(つよ)い心」を、という言葉が印象深い。読む人の心に応じて刻まれる、素敵(すてき)なメッセージだと思った。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1994年2月20日
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