書評
『イギリス王室とメディア エドワード大衆王とその時代』(文藝春秋)
尊厳維持か大衆のえじきか
昭和十五年十一月十日、紀元二千六百年の式典の際、近衛文麿首相の「寿詞」のあと昭和天皇が勅語を読む段取りだった。式典のクライマックスである。ところが予告なしにラジオの音声が途絶えた。日本人が昭和天皇の肉声をラジオで聞くのは、終戦の玉音放送によってであった。では英国の場合はどうか。
本書は、詳細なデータを示しながら英国王室とメディアの相剋(そうこく)をとらえている。日本でラジオの本放送が始まったのは大正十四年である。その前年、一九二四年、国王ジョージ五世は博覧会の開会式に臨み、開会を告げるメッセージを読み上げている。反響は熱狂的だった。BBC社史は、一千万人の国民が国王の放送に耳を傾けたと自慢するが、やや誇張があるだろう。実際の受信契約世帯は六十万軒ほどにすぎない。本書で明かされているが、ジョージ五世が七十一歳の生涯を閉じたのは一九三六年一月二十日午後十一時五十五分で、英国の高級紙タイムズの締め切り時間ギリギリなのは偶然ではない。国王死去の報は、大衆が読む夕刊紙ではなくまずタイムズの紙面を飾らなければいけなかった。王室の尊厳を維持するため、昏睡(こんすい)状態のなかモルヒネとコカインを注射され安楽死したのである。
ジョージ五世はラジオを好まなかった。それに対してエドワード八世は、皇太子時代からラジオ出演に積極的だった。聴取者の数はまだ少なかったとはいえ、やがてラジオが大衆のメディアとして成熟するのは目に見えていた。「偉大なる凡人」に徹したジョージ五世に対し、エドワード八世は「大衆王」を目指すのだ。だが皮肉なことに離婚歴があるアメリカのシンプソン夫人との“王冠を賭(か)けた恋”は、大衆メディアの好餌(こうじ)となり、わずか一年で王位を去る羽目に陥る。ジョージ五世の命は、高級メディアという祭壇に捧(ささ)げられたが、歯止めがきかない今日のダイアナ妃報道は、遡(さかのぼ)ればエドワード八世の“火傷”に起因するのかもしれない(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年)。
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