書評
『デンバーの青い闇―日本人学生はなぜ襲われたか』(新潮社)
日本人学生を襲った「憎悪」
ルイジアナ州バトンルージュで日本人高校生を射殺したR・ピアーズに無罪が言い渡されたとき、信じられない、が大方の日本人の反応だった。だがアメリカという国を理解するには、もうひとつの事件の結末も知っておく必要がある。事件は一九九〇年十月七日、コロラド州デンバーで起きた。帝京大学が、倒産したデンバーの大学をまるごと買い取り(帝京ロレットハイツ)、三百七十四名の学生を送り込んだのはその年の五月だった。アメリカ人の生徒が一人もいない全寮制の日本人専用の大学が突然、デンバーに誕生したのである。日本の学生が連れ立ってゾロゾロ歩く姿は目立たないわけがない。深夜午前一時、六人の男子学生が寮を抜け出して近くの公園でギターを弾きながら歌っていたところ、四人の白人青年にバットでめった打ちにされ所持品を奪われた。
犯人は約一か月後に逮捕された。頭を十三針縫った学生もいたが、幸い重傷者はおらずたいした事件とは思われなかったのだが、首謀者の十八歳と十七歳(逮捕時)の兄弟は、いずれも七十五年の実刑判決を受けた。ピアーズの無罪と対照的な、常識では考えられない重い刑罰である。
ガンで射殺した男が無罪、バットで殴っただけ、しかも少年に七十五年の実刑。この双方ともが病んだアメリカの現実なのだ。首謀者の少年が「ジャップ野郎を殺してやる」と叫んだこと、「ク・クラックス・クラン(KKK団)」の連絡先の名刺を持っていたことでヘイト・クライムに問われた。ヘイト・クライムとは、人種や宗教、民族、あるいは性に対する憎悪から発生した物理的損傷や感情的苦痛などの犯罪をさす。ヘイト(憎悪)を動機とした犯罪は、一般の犯罪より厳しく罰せられるべきであるとされている。
貧しい白人の兄弟は離婚した母親とデンバーに移り住んで間がなく、豊かな日本の学生は漫然と太平洋を越えてくる。両者のコントラストを描きながら、著者のやりきれない思いが伝わってくる。
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