書評
『「頭脳なき国家」の悲劇』(講談社)
真のシンクタンクの必要性
シンクタンクとは何だろうか。その存在意義が見えにくいのは日本人だけであって、他国ではシンクタンクは重要な位置付けが為されている。たとえば冷戦後のCIAは、従来のスパイ情報活動から巨大なシンクタンクへの転換をはかろうとしているが、すでにアメリカには一千二百ものシンクタンクがあり、さらに需要が見込まれているということだろう。英国の権威ある経済誌エコノミストが、世界の二十三のシンクタンクを選んだ。トップはアメリカのフーバー研究所で、ペルーの自由民主主義研究所が第二位、マレーシアの戦略国際問題研究所が第三位、韓国開発研究所が第七位、シンガポールの政策研究所が第十四位、と必ずしも大国ばかりが選ばれているわけではない。世界第二位の経済力を誇る日本には半官半民の総合開発機構(NIRA)はじめ野村総研、三菱総研など二百四十二もシンクタンクがあるのに、ひとつも顔を出していない。「頭脳なき国家」の動かぬ証拠を突きつけられた印象さえある。
シンクタンクが一般研究機関と違うのは、「インターディシプリナリー(学際的)」であり「マルチディシプリナリー(多くの学問領域にわたる)」を持ち、具体的な政策立案能力を持つ点だろう。日本に本来の意味でのシンクタンクが育たないのは、中央官庁からの委託研究が行われても、大部分は発注者の意向を報告書に仕上げるレベルに終始して批判精神がないせいである。著者はアメリカのシンクタンク界の長老マクナマラ元国防長官にインタビューし、つぎの発言を引き出している。
多数の民間シンクタンクが絶えず国の針路を修正しているところにアメリカの強みがある。日本には政府と距離を置いた中立的で厳正な頭脳システムが不在だ。
日本では“優秀な官僚機構”がシンクタンクを任じていたといえる。その限界が明白になりつつあるのもまた事実だ。取材を重ね試行錯誤しつつ焦点を絞っていく手法は、明快で好感が持てる。
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