書評
『薬物依存症』(筑摩書房)
必要なのは適切な治療と回復支援
本書は薬物依存症臨床の第一人者による、一般向け解説書の決定版である。著者の松本は国立精神・神経医療研究センターの勤務医として、依存症の臨床ならびに啓発活動に長年関わってきた。薬物依存症の治療プログラム「スマープ(SMARPP)」の開発と普及という貢献をはじめ、精神医療の周辺に追いやられがちな依存症臨床の現場で八面六臂(ろっぴ)の活躍を続けている。膨大な情報量が詰め込まれた本書の中心トピックの一つは「依存症の自己治療仮説」だ。およそ30年前に北米の研究者によって提唱された仮説であるが、依存症臨床にパラダイムシフトをもたらした重要な仮説である。
従来、薬物依存症者は、薬物がもたらす快楽ゆえに依存症になると考えられてきた。その考えをこの仮説は180度転換させた。人が薬物を摂取するのは、快楽ゆえ(正の強化)ではなく、それがその人の苦痛をやわらげてくれる(負の強化)からなのだ。
問題は、薬物のそうした「治療」効果は、ありえたとしても一時的であることだ。薬物の多くは「耐性」が生ずる。つまり、同じ効果を得るための量が次第に増えていく。しまいには極量を用いても期待する効果が得られない状態に至る。
こうなるともはや地獄だ。クスリをやっても辛(つら)い、やらなければなお辛い、という状況になるからだ。こうしたプロセスは依存症のみならず、自傷行為などにもあてはまる。
薬物依存症に対しては、我が国はいまだに「ダメ。ゼッタイ。」の厳罰主義をとっている。つまり依存症は処罰することで解決に向かうと考えられているのだ。この発想は従来の快楽追求型のモデルに基づいている。
しかし自己治療仮説に立つなら、この対応は誤りだ。処罰では依存症は解決しない。覚醒剤を使用して服役した人の再犯率の高さがそれを裏付けている。
処罰モデルが無効な理由はほかにもある。厳罰主義は依存症者をおとしめる。「人間やめますか」の標語が象徴するように、「あちら側」に転落した人はスティグマを負い、社会から排除され、いっそう孤立を深めていく。そこまでしなければ彼らは懲りない、とお考えだろうか。事実は逆である。孤立の苦痛に耐えかねた依存症者は、ますます薬物を必要とするようになっていくのだ。
著者が末尾で引用する「ネズミの楽園」のエピソードが印象的だ。実験用にネズミを二つの群に分ける。一方のネズミは、一匹ずつ金網でできた檻(おり)に隔離された「植民地ネズミ」。もう一方は、ウッドチップがしきつめられた快適な環境下で、十分な餌と仲間に恵まれた「楽園ネズミ」。2群のネズミに普通の水とモルヒネ入りの水を与えて観察を続けた。何が起きたか。植民地ネズミは大量のモルヒネ水を飲み続け、楽園ネズミの方はモルヒネ水をあまり飲もうとしなかったのである。「自己治療仮説」を裏付ける、興味深い実験だ。
罰や辱めでは依存症問題は解決しない。必要なのは適切な治療と、自助グループをはじめとする回復支援だ。依存症者を孤立させず、治療につながりやすい状況を作るべく、松本は「おせっかい電話」や「『声の架け橋』プロジェクト」に取り組んでいる。その取り組みを孤立させるべきではない。
こうした、排除から包摂へ向かう発想の転換は、いまや依存症臨床のみならず、あらゆる対人支援の現場で求められているのだから。
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