書評
『ボリス・ヴィアン伝』(国書刊行会)
短くも多彩な生涯を詳しく
このほどフランスの文芸出版の雄ガリマール社がその古典叢書(そうしょ)にボリス・ヴィアン(1920~59)の作品を加えるとか。一流作家の証しである。生前はポルノグラフィーもどきのハードボイルド小説『墓に唾(つば)をかけろ』のスキャンダルで知られ、サルトル、ボーヴォワール、コクトーらに愛されながらもほとんど評価をえられなかったユニークな才人、本書はその短くも多彩な生涯を詳説する評伝である。
ヴィアンは資産を失い没落してもなお悦楽を享受しようとした一家で育った。時代はフランスの大混乱期。“一九四〇年六月に、ぼくは二十歳だった”と生涯に何度も呟(つぶや)いたヴィアンは、パリ陥落の年に成人し、戦況が変転してアメリカ兵が入り込み、戦勝の後はさらなる混迷を深めるフランスでジャズ・トランペットの奏者、歌手、俳優、若者を集めるびっくりパーティーの主催者など、けばけばしい活躍を謳歌(おうか)した。美男子で多芸多才、おおいにもてはやされたが、根っからの韜晦(とうかい)趣味のせいか、それともそれが彼の美意識であり文学であったのか、独特な言語感覚、飛躍するイマジネーションなど、凡人には入り込めないところがある。代表作『日々の泡』では、たとえばサルトルの『存在と無』(レートル・エ・ル・ネアン)が『文字とネオン』(ラ・レットル・エ・ル・ネオン)とされる言葉遊びなどがふんだんに現れたりするのだ。
こんな作家を伝える本書は、2段組みの三百数十ページ、巻末の人名索引を見ると、800を超える名前が並び、アヌイ、アポリネール、アラゴン、イヨネスコ、ヴァレリー……20世紀の異才がぞろぞろ登場している。日本人には知りようもない名前もあって、これを網羅する記述は、ヴィアン作品同様読みにくい。が、この作家について初の本格的評伝である本書が第一級の労作であることは確か。著者ボッジオはヴィアンを愛し、その文学をよく理解している。この理解が大切だ。だから、繁雑な人名や出来事を飛ばし読みにしても奇才の命のありかが見えてくる。それがうれしい。
朝日新聞 2009年11月29日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。