書評
『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』(岩波書店)
独房探偵登場
アームチェア・ディテクティヴの古典、クリスティのミス・マープルが持つ穏やかな諧謔と、チェスタトンのブラウン神父でしか出会うことのできない、ほんの少し自虐的でユーモアにあふれ、泰然たる理知への傾きをブレンドした名探偵ドン・イシドロ・パロディ。驚くなかれ、彼はブエノスアイレス南部に店を構える理髪師だったのだが、無実の罪で懲役二十一年の刑を言い渡され、現在服役中の身である。ながきにわたる刑務所暮らしの結果、「頭をつるつるに剃り、脂肪ぶとりした金言好きな四十男」になってしまったにもかかわらず、「目だけは見るからに思慮深そうな光をたたえて」いるパロディの住処は、二七三号とナンバーの振られた独房だ。彼はその卓越した推理能力を聞きつけて訪ねてくる者たちから話を聞き、すでに生起してしまった事件に鮮やかな光を当てる。独房にあって極悪犯罪をたくらむのではなく、また正義に則った徳目を掲げて事件に首をつっこむのでもない。間接的な情報のなかから、静かにひとつの真実を導き出すだけである。そこに理髪師の経験が生かされているのはまちがいなさそうだが、「長年牢で暮らしてきたせいでしょうか、今では人を罰しても意味がないような気がしてならないのです」と語るこの主人公の立場は、囚人というより告解を引き受ける宗教者のそれに近い。国際都市を頭のなかだけで歩き回る探偵を創り出したのは、オノリオ・ブストス=ドメック。じつはこの作者、ホルへ・ルイス・ボルヘスとその十五歳年下の盟友アドルフォ・ビオイ=カサーレスが共作のために用いたペンネームなのだ。
本書『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』がH・ブストス=ドメックの名で刊行されたのは、一九四二年。強い個性の持ち主であるふたりの作家の、いずれにも似ていずれにも似ていない六篇には、しかし彼らだけに可能な仕掛けと遊びがちりばめられており、内容以上に言いまわしを楽しむべき頁さえ随所に見受けられる。作品全体がパロディの推理のなかにすっぽりと収まって、密室の語りが虚構の世界を精製する装置として機能しながら、最後には相談を持ちかけてきた登場人物までが霧散していくというどこかはかなげな味わいは、ボルヘスの「八岐の園」をはじめとする諸篇や、ビオイ=カサーレスの『モレルの発明』のそれを連想させもするだろう。いずれにせよ両者の文学に親しむ者なら、必読の一書である。
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