書評
『騎手マテオの最後の騎乗』(集英社)
九十三年ジャパンカップ。アメリカ版・武豊とでも呼びたい天才騎手デザーモは、ゴール百メートル手前で腰を上げてしまった。ゴール板の位置を間違えたのだ。彼が乗っていたのはアメリカ最強馬コタシャーン。あの脚色(あしいろ)からすると、騎手の大ポカさえなければ、ひょっとするとひょっとしたかもしれないし、たとえひょっとしなくても、もっときわどい勝負になっていたことだけは間違いない。とにもかくにも、ジャパンカップの勝ち馬はレガシーワールドに決まり、デザーモはこの失敗によってアメリカのジョッキー・オブ・ザ・イヤーを逃すことになり、わたしはといえば換金できなかったコタシャーンの単勝馬券を、いつまでも未練たらしく仕事机の前に貼っているというわけだ。やれやれ。
本書は、年老いて引退を勧告されてしまったものの、かつてはデザーモ級の一流騎手だったマテオが、奇跡の復活を遂げるまでを描いた競馬小説の傑作だ。引退したものの、競馬周辺からいつまでも離れられないでいるマテオは考える。
「いつかはやめなきゃならん。しかし、今がその時なのか。もう一度だけ、実力を示したい。もう一度馬に跨がって自分が何者であるかを、みんなの前で示したい」。そこで彼は、かつての雇い主である伯爵に、今度のダービーに乗せてほしいと頼む。一度引退した騎手が、ロートル騎手が、よりにもよってダービーに! しかし、この無謀な願いは実現し、マテオはベラドンナという有力馬に乗せてもらえることになる。
彼は勝ったかって? それは読んでのお楽しみ。あっと驚くような方法で、マテオは自分が正真正銘の騎手であることを、ダービーの観客に、そしてわたしたち読者に示してくれるのだ。
作者の素晴らしい描写力のおかげで何度も頭の中でリプレイできるマテオのダービーを巻き戻しながら、コタシャーンの単勝馬券を眺めているうちに、現実の騎手が現実のレースで失敗を、いや人生を取り返すのは容易じゃないことに想いは至る。デザーモはマテオにはなれないのだ。現実は虚構より、やはり厳しいということか。
【この書評が収録されている書籍】
本書は、年老いて引退を勧告されてしまったものの、かつてはデザーモ級の一流騎手だったマテオが、奇跡の復活を遂げるまでを描いた競馬小説の傑作だ。引退したものの、競馬周辺からいつまでも離れられないでいるマテオは考える。
「いつかはやめなきゃならん。しかし、今がその時なのか。もう一度だけ、実力を示したい。もう一度馬に跨がって自分が何者であるかを、みんなの前で示したい」。そこで彼は、かつての雇い主である伯爵に、今度のダービーに乗せてほしいと頼む。一度引退した騎手が、ロートル騎手が、よりにもよってダービーに! しかし、この無謀な願いは実現し、マテオはベラドンナという有力馬に乗せてもらえることになる。
彼は勝ったかって? それは読んでのお楽しみ。あっと驚くような方法で、マテオは自分が正真正銘の騎手であることを、ダービーの観客に、そしてわたしたち読者に示してくれるのだ。
作者の素晴らしい描写力のおかげで何度も頭の中でリプレイできるマテオのダービーを巻き戻しながら、コタシャーンの単勝馬券を眺めているうちに、現実の騎手が現実のレースで失敗を、いや人生を取り返すのは容易じゃないことに想いは至る。デザーモはマテオにはなれないのだ。現実は虚構より、やはり厳しいということか。
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初出メディア

ダカーポ(終刊) 1994年2月2日号
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