書評
『まだふみもみず』(幻冬舎)
返信のない手紙
まじめでやさしそうなお姉さん、というのが、中学の頃、テレビの「連想ゲーム」で檀ふみさんを見たときの第一印象。実は私とそう年は変わらないのだが、何ぶんこちらは少し前までランドセルを背負っていた身だから、「お姉さん」に感じられたのだ。ふみ、という、やわらかでちょっと古典的な名も、似つかわしく思われた。正解してにこっと微笑むとえくぼができるのがかわいかったし、こめかみを押えて真剣に考え込む姿には、頭痛薬をあげたくなった。
「あのお嬢さん、慶應の学生さんなのよ」
私とともにファンになっていた母親が、どこからか聞いてきた。まるで近所で評判の「娘さん」の話をするような口ぶりだった。
『まだふみもみず』(幻冬舎文庫)は、檀さんが、旅先でのできごとや子供時代の思い出、お父さんである作家の檀一雄さんのことなどを綴ったエッセイ集。「ふみ」の名の由来もある。意味するところは、手紙、書物……。父が名づけたという。
楽しい中にもジンと来るものがあり、書いてきた経験の長さと、読書量とを感じさせる。落ち葉の焚き火に手紙をくべるシーンを、例に挙げよう。「木の葉と言の葉が、からみあいながら天へと昇ってゆく。空の色が、いつにも増して青い」がラスト。うーん、なんとも味わい深いではないか。
この本で知る檀さんは、はるか昔の第一印象を裏切らなかった。『若草物語』、『小公女』など「いい子がいい子になるためのお話を片っ端から読んで、私は育った」なんてくだりには、
「そうじゃないかと思ってたんだあ」
とうなずきたくなるほどだった。
いわゆる女優さんのエッセイであるわけだが、いまや同じ中年の未婚女性に分類される私としては、そっちの方で共感するところが多かった。
駅弁をついフタの裏のご飯粒から食べてしまう、湯ぶねにつかると「極楽、極楽」なんて言ってしまう、トイレで本を開く。いやー、おたがいオバサンになったものですな。
それでいて、『赤毛のアン』に胸を高鳴らせるといった、思いきり少女っぽいところを引きずっていたりするのが、トウが立った娘のややこしさ。「『お姉さん』の時代はそう簡単に終わるものではない」と檀さん。
なんとなく、妻にもならず、母にもならず、この年まで来た。女優だからといって「人と変わったドラマチックな人生を送っているわけではない」という。
でも、よくよく考えれば、檀さんがそう言えるのは、すごい。娘の立場からすれば「あの人のお父さん、有名な作家なのよ」と言われ続けること、ましてそのお父さんに『火宅の人』のような作品があることは、思春期の頃など、結構キツかったのではと想像してしまう。
だいたい思春期の頃なんて、自分の人生をなるべくドラマチックなもの、人と違った特別なものと、思いたいものだ。檀さんのような条件なら「ああ、私は、運命的なものを抱え込んで生まれてきたのね」と思い込み、そこから、懊悩の中でのたうち回るという、悪しき文学趣味の方に向かってしまうことも、じゅうぶんあり得る。
が、そっちの方に行かなかったのは、そうした条件くらいでガタガタしないくらいの愛情を、親がしっかり注ぎ込んだためだろうし、それをきちんと受け止められる健全な知性が、子の方にも備わっていたからだろう。そう考えると、やはりこの人、タダ者ではない。
前は、雑誌などで檀さんのエッセイを目にするたび、
「どうして、そんなにお父さんのことを書くのかなあ。ひょっとしてファザコンかな」
と失礼ながら思うこともあった。が、この年になると、よくわかる。
女親と娘とは、よくも悪しくも一体みたいなところがある。家でともに過ごす時間も長いし、何といっても同じ性だ。対して、男親は別の文脈に生きる人。息子なら、いつか自分もその文脈をなぞらざるを得なくなるが、娘は異なる性であるがゆえ、いつまで経っても距離が残る。
それを埋めて、近づこうとするためには、女親との間にはない、プロセスが必要だ。あの人の生きてきた時間はどんなものだったか、何を価値としていたのか、その中で、家族は、自分は、どう位置付けられるのか。父の何気ないひとこと、ワンシーンを手がかりに理解しようとつとめる。言葉を用いて考えるプロセス。そこから、文章が生まれる。
檀さんの父は、檀さんが二十歳そこそこのとき亡くなった。手がかりはもう増えない。
だから、あの日、あのときのひとこと、シーンを、記憶の中から取り出しては、くり返し意味付けるほかはない。
「私が書いているのは、どれもこれも、父への『ふみ』なのかもしれない」と檀さん。あわただしく父に逝かれた娘は、亡くなって四半世紀してもなお、父との対話を試みて、返信のない手紙を出し続けるのである。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

星星峡 2000年6月号
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