自著解説
『実用書の食べ方』(晶文社)
ご賞味あれ!
前に勤めていた会社では、ビルの二階に本屋があった。あるとき部長に頼まれて、経済誌を買いにいくと、レジの前に、同じ部の係長が立っている。三十過ぎの男性である。後ろについた私に気づくと、彼はどきっとした顔で、私から本を隠すよう、さりげなく体を右へずらした。
見られてはまずい本とは? 裸の写真の載った雑誌か、それとも官能小説か? 隠されるとよけい覗きたくなるのが人情だ。彼の動いた方向に、三十センチプラスし移動して、レジ台の上の二冊を注視する。「公募ガイド」と「新人賞のとり方」といった本。
はあ、と私は息をのんだ。この人、文学青年だったのか。夢をまだ秘めているんだ。
振り向いた彼と目が合ったが、たがいに瞬時にぱっとそらして、気まずくそっぽを向いたまま、レジの打たれるのを待ったのだった。
実用書のこわいのは、読む人が、こういうハウツーを求めているんだ、その人にとってこういうことが切実なんだと、ばれてしまうところである。私も以前、妊娠に関するエッセイを書くとき、実用書コーナーの「育児、出産」の棚に行って、出産体験記のあまりの迫力に、ついつい立ったまま読みふけっていたら、「岸本さん」と突然、仕事上の知り合いに声をかけられて、仰天した。そのてんまつは、拙著『家にいるのが何より好き』(文藝春秋)を。
ときには人目をはばかって買わなければならないほど、言うに言われぬ欲望とか、差し迫った問題とか、ひそかなコンプレックスとかと、実用書は直結している。
実用書は本にあらず、とする人がいる。本好きの人ほど、その傾向にあるようだ。
私のまわりには職業がら、なるべくいろいろなジャンルの本に目を通すようにしているという人が多いが、
「実用書だけは、受けつけないんだよね」
との声をよく聞く。
私も、どちらかといえば、そうだった。本として認める認めない以前に、動機において共感できないというか。「人に好かれる話し方」なんてタイトルを見ると、
「話し方は人格だ。人のまねするものではない。そもそも人に好かれようと思う方がさもしい」
と妙に頑(かたくな)な態度をとっていた。そのくせ、たまーにテレビで何かについて語る機会があると、自分はちゃんと話せているか、感じ悪くないかなど、しっかりビデオチェックしていたのである。
そんな私がひょんなきっかけから一年間、実用書コーナーに通いつめ、ただ読むばかりではなく、あろうことか、そこに出ているハウツーに従いやってみるはめになった。
料理、健康、マナー本、ビジネス書。『愛されるための表情美学』なんて、ハートマークいっぱいの表紙の本を買うときは、
「この女、愛されたがってるのか、しかし表情がどうこうの問題じゃないよな」
と見知らぬレジの人にも思われるのが恥ずかしく、エロ本を買うように、他の本にはさんでそっと出したものだ。いちいちそんなことを思うほど、店員はヒマではないだろうが。
その一年間の試みを書いた本が、『実用書の食べ方』(晶文社)だ。
タイトルについて、ひとこと。えー、これは、実用書に関し「食わず嫌い」であった私が「齧ってみたらこんなだった」という報告であることから、つけたものである。甘くておいしいばかりではないけれど、それぞれに味わい深かった。
【この自著解説が収録されている書籍】
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