書評
『日中関係史 1500年の交流から読むアジアの未来』(日本経済新聞出版社)
普遍的な言葉で歴史を語り直す快著
日中両国に精通するエズラ・ヴォーゲル氏が、一五○○年にわたる両国交流史をふり返る。前著『現代中国の父 鄧小平』を書き上げた後、悪化する日中関係をほって置けないと思った。もつれた歴史の糸をほぐし、≪どちらにも親しい第三者≫として両国の人びとに語りかけよう。よりよい日中関係を築きたいという使命感が本文から溢れている。議論の重点は一九世紀以降だ。西欧列強を前に、危機感を抱いて速やかに近代化をなしとげた日本。西欧文明の摂取に消極的だった中国。両者は対照的な歴史を歩んでいく。
著者の専門は歴史ではなく、社会学。アカデミズムの原則に忠実に、歴史の重要な節目を丁寧に整理していく。結果、東アジアの近代史の大きな図柄が描かれた。近現代史を学校で詳しく教わらなかったあなた、ぜひ読むべきですよ。
敏感な歴史問題を橋渡ししようとする気配りも行き届いている。たとえば南京大虐殺は、当時の戦況を説明し、中国側の主張/東京裁判の結論(三〇万人超/以下)、歴史家・秦郁彦氏の推計(四万二〇〇〇人)を紹介して、日中双方が相手の立場を理解しやすいように筆を進める。尖閣諸島については、米軍の施政権返還のいきさつや鄧小平の態度、その後の行き違いなど、問題の輪郭を描き出す。両国は共通の利益を考えて解決しなさい、と示唆している。
さて、本書の主題は、西欧のインパクトに日本と中国がそれぞれどう対応したかという、世界史の大事件の全貌を描くことだ。相手から学ぶ能力と、教育のあり方が焦点だ。日本はその昔、中国から学んで国づくりをした。明治になると西欧から学びたちまち近代化した。中国は驚いて日本から学ぶことにした。
本書は改めてさまざまな疑問を与えてくれる。たとえば、儒教は近代化にプラスかマイナスか。
儒教は普遍主義で、中国が世界の中心だとする。ならば西欧から学ぶ必要はない。清朝は改革の試みに冷淡だった。韓国も反応が鈍かった。では日本は、やはり儒教を学んできたのに、なぜ西欧に学べたのか。
儒教は、少数の知識人が権力を握り、民衆は統治されるだけ。これでは国民を形成できない。だが日本では、儒教の担い手は武士だった。武士は行政職員で、民衆と協力した。儒教をうまく変形し国学や蘭学と抱き合わせにして、尊皇思想を生み出した。身分を超えて国家に献身するナショナリズムだ。こういう儒教なら、近代化に役立つ。
尊皇思想への転換の時代を生き抜いた明治の元勲が健在だった間は、日本は大筋で誤らなかった。やがて世代が交替し、学校秀才の官僚と軍人が別々に台頭して国を分裂させ、誤らせた。戦後、軍人はいなくなって、安全保障はアメリカに丸投げ。分裂は終わっていない。しかもそれに無自覚である。
いっぽう中国では、軍閥でも、中華民国でも、共産党政権でも、軍事と政治が一体である。マルクス主義だからでもあるが、むしろ儒教の原則だ。中国はこうして、儒教の骨格を残しながら教育を普及させ、近代化に成功した。いまその実力はアメリカを追い越す勢いだ。中国の近代化の本質がこうであるなら、いわゆる民主化は期待しにくい。
ヴォーゲル氏は本書を、日中両国の読者に向けて書いたという。だがむしろ、アメリカの読者にこそ読んでほしい内容だ。自由と民主主義と資本主義を旗印に、世界を長年仕切ってきたアメリカが、台頭する中国と衝突している。かつてアメリカは台頭する日本と衝突し、中国と手を結んで打倒した。いまアメリカは、中国をどうしたいのか。経済が発展すればそのうち民主化するだろうという「関与政策」は見通しが甘かった。そこで経済制裁に転じたが、先の展望があるわけではない。アメリカ、そして世界の人びとは歴史を学び、やみくもに前進している中国のものの見方を理解すべきだ。
ヴォーゲル氏は、中国を理解するのに十分な基礎知識を、アメリカの読者に提供しようと努めてきた。アメリカは、正しく行動できるだろうか。日本はかつて中国の知識が十分なつもりで、重大な誤りを犯した。知識は必要だが、知識以上の洞察がいっそう重要なのである。
アメリカもさることながら、中国は、世界を正しく理解しているのか。香港や台湾への強圧的な対応からみる限り、中国の共産党政権はいびつな世界像を抱いている。心配だ。中国は長いあいだ隔離され、外の世界を学ぶ機会がなかった。外の世界を学んで変化した香港や台湾の人びととギャップがある。中国も外の世界を謙虚に真剣に学ぼうとした一時期があったことを、本書を通じて思い出してほしいものである。
歴史は、一回限りの出来事の積み重ね。それを本書は、普遍的な言葉で語り直す。社会科学の醍醐味である。二一世紀の国際世界は、アメリカと中国の両雄に左右される。アメリカの中国に対する懸念がとりわけ高まっているいま、まことにタイムリーな快著の登場である。
ALL REVIEWSをフォローする










































