書評
『占』(新潮社)
占いに“真実”を求めるうち生身の人間が露わになってゆく
占いをしてもらったことがない。いったん占ってもらえば、占いの行方に攪乱(かくらん)されそうでこわく、ずっと遠巻きにしてきた。でも、じゃあ占いにまるきり興味がないといえば嘘(うそ)になる。こわごわ覗(のぞ)きたい気持ちを抱くのは、星の数ほどある占い術ではなく、占いに関わると何が起きるのか、起きてしまうのか、について。本書『占』は、占いにまつわる七つの短篇を収録する小説集。いったい占いの何が描かれているのか、暗幕を開ける戸惑いの入り交じった期待感は、それこそ占師を訪ねるときの気の逸(はや)りに通じていそうだ……すでに術中に嵌(は)まっている気もする。
七篇の舞台は、いずれも大正時代。冒頭「時追町(ときおいちょう)のト(うらな)い家」の主人公・桐子(とうこ)は、両親を亡くして一軒家に住まう三十代、独り身、翻訳家。ひょんなきっかけで深い仲になった年下の伊助は大工職人。情を通わせるうち、伊助は苦界に身を売った義理の妹、梅への心情を熱く語るようになり、命に代えても梅を守ると言う。自分への愛情をはかりかねた桐子は、通りがかりの占い館の格子戸をふらふらと開け、あげく、足繁く館を訪ねて金を注ぎこむようになる。違う八卦見(はっけみ)に面会を求めては同じ相談を持ちかけ、いちいち違う答えに苛立つ……真実を知りたくて占ってもらっているのに酷(ひど)いじゃないか、と。しかし、館の女は恬淡(てんたん)として言う。
「真実というのは本来、ひとりの人に対して、幾通りも用意されているはずなのです」「なにをどう信じるか、どういう手立てをとるかは、お客様次第ということになります」等々。
振り子さながら、男にも占いにも翻弄される女の内面が描かれて見事だ。
占いは、奇想天外な物語を呼びこむ導火線。口からでまかせを答えているのに、千里眼の恋愛占師にされてしまうカフェーの会計係。仏壇の写真に写った男性に心惹かれ、老婆に口寄せしてもらう年頃の女性。ご近所の家庭事情を勝手に双六(すごろく)盤に仕立てて自分の家庭の幸せに満足しているうち、想定外の事実に気づいて呆然とする主婦……せつなくて、色艶も情けもあって、かすかに滑稽。生身の人間が露わになってゆく。
一篇ごと位相の異なる世界に誘いこまれる。それは、描かれる人物像のなかに自分のタネを見いだす心地をおぼえるから。
ただし、綺譚だけに終わらせないのが木内昇という作家である。「鷺行町(さぎゆきまち)の朝生屋(ともうや)」の、ぞくりと身震いさせる怖ろしさはどうだろう。
ある日、夫婦ふたり暮らしの家に幼い男の子が現れる。子を授からないことに倦(う)んでいた妻の恵子は、男児の愛らしさの虜になる。「朝生屋」とは、写真と見まがう精密な遺影を描く画家、朝生の屋号。男児の背景を探るために画家を訪ねた恵子は、冥界の入り口に立たされることになるのだが、後日身ごもった恵子は、ある思念を得る。誰も知るよしのない、幽界との密かな取り引き。闇の内部に指を伸ばした者は、そのつもりがなくても、引き返せない場所に身を置くということか。
ひとの世そのものに触る心地のする、不可思議を湛えた短篇小説集。読み終えたあと、占いに近づくかどうか、それはやっぱり自分しだい。
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