書評
『果しなき流れの果に』(角川春樹事務所)
日本SFの頂点
大風呂敷を広げるSFは日本にもたくさんある。その代表が、国内SF長編オールタイムベスト1位の常連、小松左京『果しなき流れの果に』。1965年のSFマガジンに連載され、翌年、早川書房〈日本SFシリーズ〉から単行本化。73年、ハヤカワJA文庫の記念すべき1冊目となる。当時、中学1年生だった僕は、生頼範義のカバー画がついたこの文庫を貪(むさぼ)るようにして読んだもんです。石川喬司の20ページを超える巻末解説「小松左京の宇宙」もうれしい(『世界SF全集29 小松左京』からの再録)。早くも翌年には角川文庫に入り、現在はハルキ文庫(および角川文庫版の電子書籍)で読める。
執筆当時、小松さんは30代前半。日本SFも、著者も若かった。科学、歴史、文学、哲学、あらゆる知識を貪欲にとりこんでバリバリと噛(か)み砕き、出力結果をすさまじい勢いで原稿用紙に吐き出した。
プロローグは、白亜紀の蘇鉄(そてつ)の密林で、ティラノサウルスがけたたましい物音にいらだつ場面。洞窟の奥で鳴りつづけているのは、金色の電話器だった……。
続いて話は現代に飛ぶ。N大理論物理研究所の野々村浩三は、史学部の番匠谷教授から奇妙な発掘品を見せられる。6千万年前の岩層から発見されたという砂時計。しかも、砂は上から下に果しなく落ちつづける。
教授とともに発掘現場に向かった野々村は、古墳の羨道(せんどう)で謎の金属片を拾ったあと、岩壁に耳を押し当て、遠ざかっていくかすかな足音を聞く。それに、電話のベルのような音。野々村は言う。「先生、弱音を吐くわけじゃありませんが、どうやらこいつは、ぼくらの――現代のぼくらの手にあまりそうですよ」
謎が謎を呼ぶミステリアスな展開は、無敵の吸引力。やがて野々村は、時速70キロで走るタクシーの中から忽然(こつぜん)と姿を消す。かくして時空を超えた戦いに巻き込まれ、反逆者として、10億年を股にかけた逃亡劇をくり広げることになる。小説としては破綻気味だが、ライブ感満点。人類、宇宙、歴史と文明などに関する作中の議論もめっぽうおもしろい。
西日本新聞 2015年6月26日
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