書評
『ブラフマンの埋葬』(講談社)
乾いた死の匂い漂うひと夏の物語
昨年、『博士の愛した数式』が話題を呼んだ小川洋子の最新作(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2004年)。初夏のある朝、主人公の「僕」は裏庭で傷ついた小動物を見つけ、世話をしてやる。動物はブラフマンと名づけられ、僕はブラフマンと親しむようになっていく。このシンプルな小説は、僕とブラフマンのひと夏の出会いと別れの記録だ。
だが、ブラフマンが何の動物であるかは最後まで分からない。足の指のあいだに水かきがあり、水中での泳ぎを好むことから、カワウソのような動物だろうと推測できるだけなのだ。
そんな具合に、この夏の光にみちた明晰な小説は、奇妙な曖昧さをもはらんでいる。主役の動物の種類が不明なだけでなく、小川洋子の小説ではいつものことだが、こんなメルヘンのような高原の町がじっさいに日本にあるとは思えない。「僕」が管理人として働く<創作者の家>も、まったく生活臭がなく、すべてがもしかしたら夢のなかのできごとであるかのように、事物の輪郭が稀薄なのだ。ブラフマン以外、登場人物には固有名がいっさい与えられていない。
また、ここには乾いた死の匂いがたちこめている。そもそも表題が死を示唆しているし、主人公がブラフマンという名を選んだのも、墓碑銘からなのだ。この町には、死者をラベンダー色の箱にいれて川に流し、それを拾いあげて石棺に納めるという伝統があった。僕が恋する雑貨屋の娘は、石棺だらけの古代墓地で生物の教師と交わっているし、僕は、死んだ五人家族の写真を部屋に飾っている。
家族が一人ずつ旅立ってゆく。残された者は、死者となった者の姿を、写真の中で慈しむ。そこでは死者と生者の区別もない。〔中略〕……その静けさが、僕に安らかさを与えてくれる。
小川洋子の描く死と消滅がノスタルジーさえ感じさせるのは、死とは、人間の生臭さが消えて、始まりの静かな場所へと帰ることだからだ。最後のブラフマンとの別れも、感傷の涙には曇らされない。その鉱物質の感覚は、磨きぬかれた文体の効果である以上に、小川洋子の文学のゆるぎない本質と結びついている。
朝日新聞 2004年05月16日
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