書評
『不時着する流星たち』(KADOKAWA)
喪失の甘美さに充ちたオマージュ集
小川洋子は物語の一行目と二度目にめぐりあったのだと、わたしは思った。そうして書かれたのが、この不思議で、むごくて、温かい十篇なのだと。「一行目と二度目にめぐりあう」とは、詩人・蜂飼耳(はちかいみみ)の「蛙はためらわない」というエッセイのこんなくだりを思いだして書いた言葉だ。
私は多くの第一行と路上ですれちがっているはずである。私にかかわりのない第一行は、そのまますれちがうだけだが、もし重大なかかわりがある一行であれば、それはすれちがったのちふたたび引きかえしてくる。<中略>それは、かつて記憶のなかで、予感のようにめぐりあった一行かもしれないのだ(『おいしそうな草』)
『不時着する流星たち』に出てくるのは、裁縫箱を武器に誘拐犯と戦う少女、どこかにいるはずの自分と同種類の人々、世界の隙間(すきま)に落ちた手紙、耳から脳に入りこんだ口笛虫、葬儀で死者を送り出す「お見送り幼児」、あこがれの人のサイズと同じまま大きくならない足、蜘蛛(くも)の巣で書かれた文章……。
わたしも子どものころ、そういう物語世界を頭のどこかに持っていた。持っていた気がする。多くの第一行はすれ違っただけで去ってしまっただろうが、ひょっとしたら引き返してきてくれた第一行もあったかもしれない。なのに、わたしはなに一つこの手に捉えて文字に転写することはできなかった。そんな、一度は掌(てのひら)から零(こぼ)れ落ちた夢が、目の前に甦(よみがえ)ったかのような目眩(めまい)をおぼえる。
各編の最後に、物語の「火種」となったらしい人物や史実などの簡潔な紹介がある。グレン・グールドやエリザベス・テイラーなどの超有名人もいれば、一般には知られざる作家、散歩者、乳母にして写真家、研究者などもいる。
「誘拐の女王」という編をインスパイアしたのは、無名のまま「掃除夫」として没したヘンリー・ダーガーが生涯書きつづけた大長編『非現実の王国で』のようだ。子ども奴隷制を敷く悪の国家と戦う七姉妹の少女戦士たちの物語である。「誘拐の女王」では、「まさに誘拐されるために生まれてきた」ような、年のうんと離れたかれんな義姉の口から、「無法者」に拐(かどわ)かされ救いだされる冒険譚(たん)が際限なく語られる。ひたいをくっつけあって密(ひそ)かに、密かに、物語られる。両親は部屋に決して入ってこない。「カタツムリの結婚式」では、少女がテレビに映ったオーケストラの中に、自分と同じ島の出身者が潜んでいるのを見つける。そこは「世界のどの地点からも遠く離れた孤島」だ。また、「臨時実験補助員」の主人公はかつて極秘の実験に携わっていたし、「手違い」では幼子が死者にだけわかる目配せを送る。「若草クラブ」の少女には決して友だちには知られてはいけない秘密があり、「十三人きょうだい」の主人公は内緒の呼び名で叔父さんを呼ぶ。
本書の十篇をつなぐのは、「秘めやかさ」だ。登場人物たちだけが分かち合う秘密、それを読者もそっと覗(のぞ)き見る。あまりに密やかなので、本当にこの人たちは存在しているのか、この出来事はあったのか、わからなくなる。主人公の想像のたまものかもしれないし、いや、自分が遠い日に夢に見たお話が、本の中に浸(し)みだしてしまったのかもしれない。
しかし夢は残酷にも覚める。影と日向、始まりと終わり、境のない揺蕩(たゆた)いのなかに、破調と別れの兆しは突如として顕(あらわ)れる。
失われたものへの哀悼と、喪失の甘美さに充(み)ちたオマージュ作品集である。
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