書評
『一人称単数』(文藝春秋)
「思い描かせない力」ということを考える。読み手の想像力をぞんぶんに刺激し、さまざまなイメージを喚起しながら、ぎりぎりで具象的な像を切り結ばせない「力」のことだ。
カフカ『変身』の害虫は文章を追っていっても絵で再現できないと言われる。そのほか、デュ・モーリア『レベッカ』の名前のない女、小川洋子『ブラフマンの埋葬』に出てくる謎の生き物。もしブラフマンがイタチの姿をしているとわかったら、この哀切に充ちた幻想的な小説の魅力は減じるかもしれない。
短編集『一人称単数』を貫くのは、そうした思い描けない何かだ。「クリーム」という編で、「ぼく」はスフィンクスのような謎かけをしてくる老人に出くわす。「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」を思い浮かべろと言われるのだ。「ぼく」は考え抜いた末に、「それはおそらく具体的な図としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう」と思う。
村上春樹の作品には初期の頃から、充分な説明があるのに想像できないものが登場した。『羊をめぐる冒険』の羊からしてそうだ。本書ではそれを意識的に推し進めているように思う。そのため、虚構内虚構として多彩な架空の作品を創出している。一夜を共にした女性が送ってきた歌集、実在の怪しいピアノ演奏会とプログラム、チャーリー・パーカーのボサノヴァ・アルバムとレコード評、「村上春樹」が出したヤクルト・スワローズ詩集……。とくにパーカーのアルバムは曲目から演奏者リストまで事細かに書かれているが、どうしたら想像できるだろう、ハードなモダンジャズのパーカーがソフトに「コルコヴァド」を吹くなんて!
作者は書く。その音楽は「音の流れというよりむしろ瞬間的で全体的な照射に近いものであった」。そうした容易に思い描けない真実に、時として命がけで近づくための意識の変革を繰り返し書いているのではないか、この自伝風の短編集は?
女性の描き方には、正直、「相変わらず都合がいいな、やれやれ」と思う面もあるけれど、新たな闘いの始まりが感じられた。
カフカ『変身』の害虫は文章を追っていっても絵で再現できないと言われる。そのほか、デュ・モーリア『レベッカ』の名前のない女、小川洋子『ブラフマンの埋葬』に出てくる謎の生き物。もしブラフマンがイタチの姿をしているとわかったら、この哀切に充ちた幻想的な小説の魅力は減じるかもしれない。
短編集『一人称単数』を貫くのは、そうした思い描けない何かだ。「クリーム」という編で、「ぼく」はスフィンクスのような謎かけをしてくる老人に出くわす。「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」を思い浮かべろと言われるのだ。「ぼく」は考え抜いた末に、「それはおそらく具体的な図としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう」と思う。
村上春樹の作品には初期の頃から、充分な説明があるのに想像できないものが登場した。『羊をめぐる冒険』の羊からしてそうだ。本書ではそれを意識的に推し進めているように思う。そのため、虚構内虚構として多彩な架空の作品を創出している。一夜を共にした女性が送ってきた歌集、実在の怪しいピアノ演奏会とプログラム、チャーリー・パーカーのボサノヴァ・アルバムとレコード評、「村上春樹」が出したヤクルト・スワローズ詩集……。とくにパーカーのアルバムは曲目から演奏者リストまで事細かに書かれているが、どうしたら想像できるだろう、ハードなモダンジャズのパーカーがソフトに「コルコヴァド」を吹くなんて!
作者は書く。その音楽は「音の流れというよりむしろ瞬間的で全体的な照射に近いものであった」。そうした容易に思い描けない真実に、時として命がけで近づくための意識の変革を繰り返し書いているのではないか、この自伝風の短編集は?
女性の描き方には、正直、「相変わらず都合がいいな、やれやれ」と思う面もあるけれど、新たな闘いの始まりが感じられた。
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