書評
『北野天神縁起を読む』(吉川弘文館)
なぜ「天神さん」は身近な存在か
天神さんで知られる菅原道真を神として祀った神社は、全国で一万二千にもその数が及ぶという。懐かしい童謡の「通りゃんせ」では「天神様の細道」が舞台となっているように、お稲荷さんや八幡様と並んで、親しみやすい神社であろう。北野天満宮や太宰府天満宮などは、初詣ともなると数多くの参拝者で溢れかえっている。その天神こと菅原道真にまつわる縁起を記したのが『北野天神縁起』であり、それを多角的に読み解こうとしたのが本書である。古典を対象として歴史と文学の両方の目から接近する「歴史と古典」のシリーズの一冊である。『古事記』に始まり『仮名手本忠臣蔵』にいたる錚々たる古典の一つとして『北野天神縁起』が選ばれているのが、まず興味深い。
人が神として祀られ、それが広く民衆にまで浸透していったのは何故か。そのことを考える上で絶好の素材が『北野天神縁起』にほかならない。本書をシリーズに入れた企画委員の着眼点に敬意を表したい。
十世紀初頭に大宰府に流され不遇のうちに亡くなった道真を祀る動きは、平将門の乱とともに広まり、その聖廟が建てられ、天神に関わる記録が作成された。これが第一段階。続いて広く天神の信仰を訴える縁起が鎌倉時代の初頭に作成され、その絵巻が作成された。これが第二段階。
編者の竹居はこれらの記録や縁起について、その内容を示しつつ、どのような史料が用いられたのかを丹念に探ってゆく。続いて吉原浩人が天神縁起の寺社縁起としての性格を明らかにし、三橋正が天神信仰は御霊信仰や神仏習合思想のみならず、多様な信仰を包含した複合的な信仰からなっていることを指摘する。
第二段階の絵巻の作成については、承久本と称される根本縁起の絵巻が重要であるが、それに描かれた地獄絵を、菅村亨が六道絵の系譜のなかに位置づけ、また承久本から始まる縁起絵巻の変遷と特質を探った須賀みほは、承久本は、院政期の絵巻から鎌倉期の絵巻への転換を意味しているとして歴史的に的確に位置づける。
鎌倉初期には源平の争乱を経て、各地の寺社では縁起を作成してその信仰を訴えるようになっていたが、それのみならず絵巻制作にまで踏み込んでいったところが、天神縁起の興味深いところである。
こうして鎌倉後期になって多くの絵巻が制作されるなか、天神縁起はさらに広く制作されるようになり、中世後期になると、絵巻形式だけでなく掛幅形式のものが生まれる。これが第三段階。
さらに近世の第四段階になると、冊子形式も生まれるが、このように中世から近世にかけて縁起がどう受容されて変容していったのかを鈴木幸人が探り、最後に渡辺麻里子が文芸や芸能の面から縁起の変遷と変容について考察を加えている。
古代から中世への転換の時期に天神信仰が生まれてからというもの、中・近世を通じて常に時代の文芸や美術の先端をゆく素材を提供してきたのが、天神縁起であったことがよくわかる。
最も多くの写本や類本が今に遺っているのが天神縁起絵巻であり、中国に渡らなかった道真への憧憬から「渡唐天神像」が描かれ、「菅原伝授手習鑑」のような浄瑠璃・歌舞伎も生まれたのである。
まさに天神縁起は、日本の政治や信仰・文化と深く関わってきた。本書を読むと、天神さんがどうして身近にあって親しまれたのかがわかってくるに違いない。
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