書評
『わたしがいなかった街で』(新潮社)
「いま、ここ」で感じる不思議さ
主人公の砂羽は、大阪出身の30代半ばのバツイチ女性。東京の世田谷に暮らし、小さな会社に非正規社員として勤めている。家に戻れば、ユーゴやイラクなど世界の戦争や紛争を扱ったドキュメンタリーをテレビで見る彼女は、人づきあいが苦手で、周囲からは変わった人だと思われている。小説を読むとき、我々は主人公の視点から世界を眺めるものだが、本作を読んでいると、だんだん居心地が悪くなってくる。砂羽の物の見方がヘンだから? いやむしろ、彼女が現実に対して感じているズレを我々自身が少なからず共有していることに気づいてしまうからなのだ。
砂羽には広島で1945年の6月まで働いていた祖父がいた。もし彼が8月までそこにいたとしたら、彼女はいま存在していただろうか? 受験生のころ見ていたテレビには、ユーゴの内戦が映し出されていた。日々歩く世田谷の街もかつて空襲で焼かれた。同じ〈いま〉に、心地よい〈ここ〉と流血の〈あそこ〉が、同じ〈ここ〉に平和な〈いま〉と地獄の〈あのとき〉が矛盾もなく含まれることの不思議さ、〈いま、ここ〉でただ傍観しているだけの罪悪感。
そんなのは遠い土地の他者を思いやる自分に陶酔しているだけだ。己の〈いま、ここ〉を全力で真剣に生きよ。健全な常識はそう命じる。
だがそれが難しい。〈文学〉が想像力によって、一時(ひととき)であれ我々を〈いま、ここ〉から解放する手段だったとしたら、我々の生きる〈いま、ここ〉は、ネットやスマホによってボタン一つで到来する無数の〈別の〉現実に絶えず侵食され、タッチパネルとは言うが、他者に〈触れる〉ことがますます困難になっている。〈文学〉に分の悪いこの時代に、文学的表現によって応答するこの小説は、まさに〈いま〉だから書かれなければならなかった傑作である。
朝日新聞 2012年8月26日
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