書評
『犬の力 上』(角川書店(角川グループパブリッシング))
死に彩られ、生が強烈な光彩を放つ
発熱しそうにおもしろい陰謀小説にして、マフィア小説。息をもつかせぬ展開で、一気に読ませる。大胆で巧妙、そして鮮やか。アート・ケラー、アダン・バレーラ、フアン・パラーダ、ノーラ・ヘイデン、ショーン・カラン、ジミー・ピッコーネ、ファビアン・マルティネス、アントニオ・ラモス(ほんとうは、もっと書き連ねたい。登場人物はまだまだいるのだ)。未読の人にとってはただのカタカナの組合せ、意味のない固有名詞の羅列だが、この本をすでに読んだ人にとっては怒濤(どとう)の感懐をよびおこす、一つずつが味わい深い、名前たち。
私は列挙せずにいられない。彼らは登場人物であるばかりじゃなく、この小説の内容そのものだからだ。
描かれるのは、三十年におよぶ月日だ。抗争、かけひき、友情、信頼、家族、裏切り、流血、恋愛、その他いろいろ。とても豊かな物語。メキシコの麻薬組織とアメリカの政府機関の攻防、という、それ自体ドラマティックな枠のなかにさえ、とても収まりきれない豊かさだ。一人一人の生と死の前では、マフィアも国家もちっぽけに見える。
なにしろ三十年だから、これは成長小説とも読める。あるいは転落小説とも。たとえば列挙したなかの一人(のちに冷徹な殺し屋になる)は、読者がはじめて見たときにはたった十七歳の、友達思いの不良少年だったのだし、またべつの一人は少年時代、「愛情あふれる大家族のようなもの」のなかで育った。「母屋の広いポーチでくつろ」ぎ、「網戸付きバルコニーの寝台に、冷水を振りかけたシーツを敷いて寝か」されていた。
ドン・ウィンズロウは実に巧みに、一人一人を読者に見せる。映画のように、写真のように。この人は妻を愛している。この人には病気の子供がいて、この人は神に身を捧(ささ)げている。この人の好物は桃の缶詰である。さまざまな人生が複雑に交錯する。ある者は死に、ある者は生きのびる。
あまりにもたくさんの死に彩られた小説なので、生が、逆説的に強烈な光彩を放ってしまう。強烈な、そして勿論(もちろん)一つずつ独特の。だからこそ、読後に一人ずつの名前がよびさます感懐が圧倒的なのだ。
この人たちを知っている、もしくは知っていた、と思うこと。
たくさんの血が流れ、たくさんの人が死ぬこの小説はフィクションではあるけれど、メキシコとアメリカという二つの国の、歴史的政治的背景にはっきりと裏打ちされており、あちこちに、さりげなく史実もちりばめられている。プロフィールによると、ドン・ウィンズロウは「ニューヨークをはじめとする全米各地や、ロンドンで私立探偵として働き、また法律事務所や保険会社のコンサルタントとして15年以上の経験を持つ」というから、いろんなことを十分に調べたのだろう。でも私は思う。この作家のすごいところは、それを背景にとどめきったところであり、事実にはたどりつけない場所にまで、フィクションならたどりつける可能性があることを、知っているところなのだと。重たい話なのに爽快(そうかい)なのは、そのせいに違いない。いいやつだなあ、ウィンズロウ。
先が知りたくて頁(ページ)を繰る手が止まらない、という本は、一度読めばもう先を知っているので二度は読まない場合が多いのだが、この本は違った。実際私は二度読んで、二度目もすっかりひきこまれた。でも――というか、そういう本だからこそ、なのだが――、未読の人が、やっぱりとてもうらやましい。(東江一紀・訳)
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