書評
『ミラクル・クリーク』(早川書房)
善意の人々によるミステリー
ヴァージニア州のある町で、放火殺人事件が起る。放火されたのは“ミラクル・サブマリン”という名の治療施設で、韓国人の夫婦が経営していた。カプセルに入って百%の純酸素を吸うことによって、自閉スペクトラム症、脳性麻痺、不妊症、クローン病、神経症などに効果があるとされるこの施設の火事によって二人が亡くなり、三人が大怪我を負う。そこまでわずか九頁(全体では五百頁近い本)。そこから物語は一年後に飛び、裁判に突入する。著者は元弁護士だけあって、法廷シーンおよびその裏でくりひろげられる弁護側検察側双方の仕事ぶりのリアリティは見事。裁判だからすでに被告が存在し、それはエリザベスという女性なのだが、彼女がほんとうに犯人なのかどうかはわからない。施設には保険がかけられていて、保険金は当然オーナー夫妻のものになるのだし、そこでの治療に反対している抗議者たちもいて、患者同士のいざこざもあり、あれもありこれもある。
その日実際には何が起き、誰が犯人なのかが知りたくて頁を繰る手がとめられないのだが、読んでいて惹き込まれるのは、むしろそこに至るまでの一人一人のドラマの方だ。たとえばガンパパという言葉を私はこの本で初めて知ったのだが、ガンは鳥の雁で、「よりよい教育機会を授けるために妻と子どもを外国へ移住させる一方で、韓国に残って働きつづけ、一年に一回、家族と会うために飛んでいく(または“渡りをする”)父親」のことだという。主人公一家の父親も最初はガンパパであり、のちにアメリカに定住した。彼の物の考え方は韓国人のそれなのだが、娘はすでに、言葉も発想も行動もアメリカ人のようになっている。そういう一家における父と娘の関係、母と娘の関係、そして夫婦の関係――。
施設に通ってくる患者たちの人生もまたそれぞれに込み入っている。不妊治療をしている白人男性医師を除くとみんな障害を持つ子供の母親で、三人のうちの二人は離婚しており、もう一人の夫も育児はほとんど妻に任せきりだ。子供たちの障害の程度にも回復(のきざし)の程度にも差があるし、母親たちの子供の治療をめぐる態度にも差があって、それがときに衝突を生む。彼女たちの孤独、友情、嫉妬、不安、責任感。障害のある子供を育てるとはどういうことか、虐待とは何か。本書の内包するテーマは重い。のだが、それを読み応えのあるエンターテインメントに仕立てたところに作者のセンスと手腕がある。
裁判が進むにつれ、事実がすこしずつあきらかになる。こっそり約束されていた密会とか、誰かがたまたまかけていた保険会社への電話とか、禁を破っての喫煙とか、口論とか脅しとか、浮気(疑惑)に激怒した妻とか――。たまたま重なったたくさんのこと、それぞれがそれぞれの都合でついた幾つもの小さな嘘、放火殺人にくらべればささやかなこと。
基本的に善意の人々の話だ。善意の、普通の人々。でも事件は起き、事実があぶりだされる。あぶりだされた事実がアメリカの司法制度のもとでどう扱われ、どう裁かれるのか。
濃密なディテールに心を揺さぶられながら、骨格のしっかりした法廷ミステリーがたのしめる。
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