書評
『日清・日露戦史の真実 ――『坂の上の雲』と日本人の歴史観』(筑摩書房)
隠蔽と忖度、官僚の悪癖の原点
公刊された『日清戦史』と別に未公開の『日清戦史決定草案』があった。その残巻が福島県立図書館に収蔵されていた。両者を読み比べて、隠された真実に迫る。戦争の発端は、ソウルの王宮。『戦史』にはこうある。日本軍が≪王宮の東側を通過するや、王宮守備兵…突然…我を射撃し、我が兵も…応射、…遂に王宮に入り…四周を守備せり≫。先に手を出したのは韓国側だという。だが『草案』によると真相は逆だ。まず電線を切って外部と連絡を断ち、城門をこじ開けて侵入した。≪王宮の占領は日本軍が周到に計画し実行した軍事作戦だった≫のだ。
事件の背景はこうだ。東学党の農民反乱に手を焼いた朝鮮は、清国に救援を求めた。日本も対抗して派兵、国王高宗に迫り清国追討の許可を強引に得ようとした。
平壌には清軍が集結していた。これを撃破し、朝鮮を手中にしよう。日本軍は順調に進軍し、平壌に着くや清軍を打ち破ったことになっている。だが『草案』によると実際は違った。道路は劣悪で、人夫や駄馬を雇うがすぐへたばるか、逃げてしまう。農村は貧しく食べ物がない。日本兵は飢えて何日も立ち往生した。平壌に着いたときは食糧が尽き、戦うのもやっとの絶望的な状況だった。
ところが日本軍が攻撃すると、清軍はたちまち白旗を掲げて降参した。『戦史』だと、日本軍は何と強いかという印象になる。
その舞台裏が『草案』には詳しく書いてある。清軍は一万数千の日本軍を五万と誤認した。寄せ集め部隊で将軍たちが仲違いした。本国に援軍を求め断られた。最初から逃げ出すつもりだった。兵糧は一カ月分、籠城すれば勝てたはずで、清軍が自滅したのだ。
誤解もあった。清軍は白旗を掲げれば、武装したまま帰国できると信じていた。捕虜になる国際法を知らなかった。ゾロゾロ出て来た清軍を、日本軍は一斉射撃し、多数が犠牲になってしまった。
『草案』を書いたのは誰か。東条英教(ひでのり)である。それを書き換えたのは誰か。寺内正毅である。
東条は賊軍とされた南部藩の出身だ。軍人となり、陸軍大学校一期生の首席。ドイツに留学し、川上操六参謀総長の側近として第四部長(戦史編纂担当)を務めた。川上は薩摩出身だが公平だった。川上が死去すると、長州閥の寺内が参謀次長になった。『坂の上の雲』が「偏狭」と評する人物で、戦史をめぐり東条と衝突した。真実でなく軍のよいところを書け。東条は折れるほかなかった。
こうして平壌の戦いは、失敗だらけの誤った作戦から、立派な勝ち戦になった。将官は批判を免れた。最初の公刊戦史がこんな体たらくだから、『日露戦史』もでたらめだ。編纂の注意一五項目に、意見の対立、失策、輸送力、弾薬の欠乏、国際法違反、などは書くな、とある。旅順攻略(二○三高地)の失態も隠された。これでは後世に何の教訓にもならない。
東条英教は立派な教養人だったが、長州閥に疎まれた。その息子が東条英機だ。陸軍大学でもやはり秀才で、反長州閥を掲げる「統制派」のリーダー格になった。
公文書を書き換え、事実を隠蔽し、上司を忖度する。日本の官僚の姑息な悪癖の原点である。
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