書評
『みだれ髪』(KADOKAWA)
短歌を作りはじめたころ、文庫本で『みだれ髪』を買ってきて読んだ。いくつかの有名な歌は知っていたが、通して読んだのはそれが初めてだった。二十歳前後だったかと思う。
若い女性の情熱的な恋の歌が多いこと、出版された当時、若者達に大いに受け入れられたこと、そんな知識の断片だけは持っていた。
だから、読み進めていくうちに、ものすごく不安になった。ちっともわからないのだ。よさがわからない――というのではない。それならそれで、価値観の相違として、別に不安になったりはしない。もっと単純な部分で、要するに何が書いてあるのか、意味がわからない。聞くところによると、当時は中学生も熱狂していたというではないか。
しかも不思議なことに、かつて耳にしたことのある何首かの歌だけは、実によくわかる。そういう歌が出てくるとホッとして、ああいいなあ、と思ってしまう。高校の先生は、わかりやすい歌だけをピックアップして、私達をだましていたのではないかと、疑いたくなった。
が、決してそうではない。よくよく注意して読んでみると、知っているはずの歌も、何だかあやしくなってくるのだ。
くり返し耳にすることによって、わかったような気になってしまうところが、『みだれ髪』の歌の特徴なのかもしれない。
有名な巻頭の一首である。「星の今を」をどう捉えるかによって、解釈は大きく二通りに分かれる。星たちは夜の帳にささめき尽くしたというのに、今下界では、人が鬢をほつれさせて思い悩んでいる、というのが一つ。一方では、私は夜の帳にささめき尽くした星だったのに、今は下界の人となって鬢をほつれさせている、ともとれる。
一首の中では、「星」と「今」という単語は、最もわかりやすい。「帳」や「ささめく」「鬢」などは、辞書をひきたくなる語だ。が、実はそういう語の意味とはちょっと違ったところにむずかしさがあるのだ。
定説になってはいるものの、「星の今を」から、右にあげた解釈にたどりつくのはなかなか大変なことだ。どちらがというのではなく、どちらも結構苦しいと思う。
そして考えれば考えるほど、どちらでもいいように思えてくる。「どちらでもいい」などと言うとなげやりに聞こえるかもしれないが、消極的にではなく、積極的に、どちらでもいいと思うのだ。
「夜の帳にささめき尽きし星」「今」「下界の人の鬢のほつれよ」――今という語をはさんで、二つのイメージが読者の中に広がれば、この歌のねらいは充分に果たされたと言えるのではないだろうか。
先日、ある国語学者がテレビでインタビューに答えているのを、興味深く聞いた。日本語の「てにをは」について、必ずそれが必要だともいえない場面があるという。よく問題にされる「は」と「が」にしても、「は」も「が」も入れたくない文というのが、たとえば、ある。
はさみある?
あっあの時計とまっている
わたし行ってみます
夜の帳に――の歌などは、これに近いものがあるのではないかと思った。「てにをは」よりも、名詞のイメージの鮮明さが、一首を支えているのである。
この歌なども、「てにをは」は、意味よりもリズムをととのえるために使われているように思われる。
しつこく考えてみると、「やは肌の」の「の」も厳密にはよくわからない。けれど意味を越えて言葉を結びつけてしまう力が、晶子の「てにをは」にはあるようだ。
この歌も「君」の解釈をめぐって、大きく二つに分かれている。一般的な「道徳家」とする説と、妻を持つ恋人である鉄幹とする説とである。あるいは、鉄幹を歌いつつも一般的な「道徳家」にまで普遍性を持たせるという折衷案もある。また、鉄幹ではなく、それ以前の恋人河野鉄南だと見る説もある。
鉄幹か鉄南かの判断はむずかしいが、どちらかではあったのではないかと、私は思う。一般的な「道徳家」に向かって、こんな情熱的な歌を作れるだろうか。「や」は疑問ではなく反語であろう。「さびしいでしょう? ふれてごらんなさいよ」と言うとき、やは肌とあつき血汐は「我」のものであり、その「我」に対応するのが、「君」である、と考えるのが最も自然ではなかろうか。一首の中で「君」という語を使うとき、特に呼びかける場合は、「愛しい人」というニュアンスが含まれるように思う。まだ決着をみない歌なので、私は「恋人説」に一票を投じたい。
このように、『みだれ髪』には、解釈がいろいろに揺れていたり、一読しただけではよくわからない歌が、大変に多い。それでいて読む者に迫ってくるのは、イメージを強く喚起する名詞が、多く使われているからだろう。
ところで晶子は、わざと曖昧な言葉遣いをしたのだろうか。意味性を否定しようという明確な意志が、そこにはあったのだろうか。
『みだれ髪』が出版されたのは明治三十四年八月。「明星」の新人として歌を発表しだしたのが明治三十二年である。その年の夏に鉄幹と初めて会い、翌年六月に上京し、そして第一歌集を上梓、秋には鉄幹と結婚している。
歌集出版と結婚という人生の一大事を、まとめてやってのけるこのパワーには、驚くばかりだ。しかも、生まれ故郷の大阪を捨てての上京やら鉄幹の離婚やら、問題は複雑だった。
鉄幹との恋が、もちろん『みだれ髪』の中核にはある。その頃の晶子のことを考えると生きることと歌うこととのエネルギーがぶつかり合い、互いの力が二乗され三乗されるというような状態だったのではないだろうか。
一方で「明星」は、深刻な事態を迎えていた。明治三十三年三月に発行された怪文書『文壇照魔鏡』により、鉄幹は女性関係を攻撃され、それに絡むゴタゴタで、若者たちがどんどん「明星」から離れだしたのである。鉄幹の恋愛をゴシップのレベルで捉えたのが『文壇照魔鏡』なら、それを文学作品に結実させて受けてたったのが『みだれ髪』だと言えるのではないか。性急とも思える出版には、そういった一面がたぶんあったのではないかと思う。
したがって晶子には、わざと曖昧な言葉を使おうというような余裕のある意識は、なかっただろう。言葉が、気持ちが、どんどんあふれ出る。それをリズム感覚で三十一文字に繋ぎとめる。細かい意味よりも情熱の集合体として力を持つことが『みだれ髪』にとっては重要なことだった。理屈ではない、理屈よりも強い、愛というものを、えいやっと一冊にまとめあげた晶子の力技。それを感じとるということが『みだれ髪』を読むということなのだと思う。
【この書評が収録されている書籍】
若い女性の情熱的な恋の歌が多いこと、出版された当時、若者達に大いに受け入れられたこと、そんな知識の断片だけは持っていた。
だから、読み進めていくうちに、ものすごく不安になった。ちっともわからないのだ。よさがわからない――というのではない。それならそれで、価値観の相違として、別に不安になったりはしない。もっと単純な部分で、要するに何が書いてあるのか、意味がわからない。聞くところによると、当時は中学生も熱狂していたというではないか。
しかも不思議なことに、かつて耳にしたことのある何首かの歌だけは、実によくわかる。そういう歌が出てくるとホッとして、ああいいなあ、と思ってしまう。高校の先生は、わかりやすい歌だけをピックアップして、私達をだましていたのではないかと、疑いたくなった。
が、決してそうではない。よくよく注意して読んでみると、知っているはずの歌も、何だかあやしくなってくるのだ。
くり返し耳にすることによって、わかったような気になってしまうところが、『みだれ髪』の歌の特徴なのかもしれない。
夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ
有名な巻頭の一首である。「星の今を」をどう捉えるかによって、解釈は大きく二通りに分かれる。星たちは夜の帳にささめき尽くしたというのに、今下界では、人が鬢をほつれさせて思い悩んでいる、というのが一つ。一方では、私は夜の帳にささめき尽くした星だったのに、今は下界の人となって鬢をほつれさせている、ともとれる。
一首の中では、「星」と「今」という単語は、最もわかりやすい。「帳」や「ささめく」「鬢」などは、辞書をひきたくなる語だ。が、実はそういう語の意味とはちょっと違ったところにむずかしさがあるのだ。
定説になってはいるものの、「星の今を」から、右にあげた解釈にたどりつくのはなかなか大変なことだ。どちらがというのではなく、どちらも結構苦しいと思う。
そして考えれば考えるほど、どちらでもいいように思えてくる。「どちらでもいい」などと言うとなげやりに聞こえるかもしれないが、消極的にではなく、積極的に、どちらでもいいと思うのだ。
「夜の帳にささめき尽きし星」「今」「下界の人の鬢のほつれよ」――今という語をはさんで、二つのイメージが読者の中に広がれば、この歌のねらいは充分に果たされたと言えるのではないだろうか。
先日、ある国語学者がテレビでインタビューに答えているのを、興味深く聞いた。日本語の「てにをは」について、必ずそれが必要だともいえない場面があるという。よく問題にされる「は」と「が」にしても、「は」も「が」も入れたくない文というのが、たとえば、ある。
はさみある?
あっあの時計とまっている
わたし行ってみます
夜の帳に――の歌などは、これに近いものがあるのではないかと思った。「てにをは」よりも、名詞のイメージの鮮明さが、一首を支えているのである。
春の宵をちひさく撞きて鐘を下りぬ二十七段堂のきざはし
この歌なども、「てにをは」は、意味よりもリズムをととのえるために使われているように思われる。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
しつこく考えてみると、「やは肌の」の「の」も厳密にはよくわからない。けれど意味を越えて言葉を結びつけてしまう力が、晶子の「てにをは」にはあるようだ。
この歌も「君」の解釈をめぐって、大きく二つに分かれている。一般的な「道徳家」とする説と、妻を持つ恋人である鉄幹とする説とである。あるいは、鉄幹を歌いつつも一般的な「道徳家」にまで普遍性を持たせるという折衷案もある。また、鉄幹ではなく、それ以前の恋人河野鉄南だと見る説もある。
鉄幹か鉄南かの判断はむずかしいが、どちらかではあったのではないかと、私は思う。一般的な「道徳家」に向かって、こんな情熱的な歌を作れるだろうか。「や」は疑問ではなく反語であろう。「さびしいでしょう? ふれてごらんなさいよ」と言うとき、やは肌とあつき血汐は「我」のものであり、その「我」に対応するのが、「君」である、と考えるのが最も自然ではなかろうか。一首の中で「君」という語を使うとき、特に呼びかける場合は、「愛しい人」というニュアンスが含まれるように思う。まだ決着をみない歌なので、私は「恋人説」に一票を投じたい。
このように、『みだれ髪』には、解釈がいろいろに揺れていたり、一読しただけではよくわからない歌が、大変に多い。それでいて読む者に迫ってくるのは、イメージを強く喚起する名詞が、多く使われているからだろう。
ところで晶子は、わざと曖昧な言葉遣いをしたのだろうか。意味性を否定しようという明確な意志が、そこにはあったのだろうか。
『みだれ髪』が出版されたのは明治三十四年八月。「明星」の新人として歌を発表しだしたのが明治三十二年である。その年の夏に鉄幹と初めて会い、翌年六月に上京し、そして第一歌集を上梓、秋には鉄幹と結婚している。
歌集出版と結婚という人生の一大事を、まとめてやってのけるこのパワーには、驚くばかりだ。しかも、生まれ故郷の大阪を捨てての上京やら鉄幹の離婚やら、問題は複雑だった。
鉄幹との恋が、もちろん『みだれ髪』の中核にはある。その頃の晶子のことを考えると生きることと歌うこととのエネルギーがぶつかり合い、互いの力が二乗され三乗されるというような状態だったのではないだろうか。
一方で「明星」は、深刻な事態を迎えていた。明治三十三年三月に発行された怪文書『文壇照魔鏡』により、鉄幹は女性関係を攻撃され、それに絡むゴタゴタで、若者たちがどんどん「明星」から離れだしたのである。鉄幹の恋愛をゴシップのレベルで捉えたのが『文壇照魔鏡』なら、それを文学作品に結実させて受けてたったのが『みだれ髪』だと言えるのではないか。性急とも思える出版には、そういった一面がたぶんあったのではないかと思う。
したがって晶子には、わざと曖昧な言葉を使おうというような余裕のある意識は、なかっただろう。言葉が、気持ちが、どんどんあふれ出る。それをリズム感覚で三十一文字に繋ぎとめる。細かい意味よりも情熱の集合体として力を持つことが『みだれ髪』にとっては重要なことだった。理屈ではない、理屈よりも強い、愛というものを、えいやっと一冊にまとめあげた晶子の力技。それを感じとるということが『みだれ髪』を読むということなのだと思う。
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