書評
『不平等と教育-日本の格差問題はなぜ解決しないのか』(中央公論新社)
訳されて変質した字義がもたらすもの
「格差社会」や「教育格差」が指摘されて久しい。にもかかわらず、状況が改善されたとは言い難い。さまざまな論議が交わされているなか、本書は教育の問題に対する認識の深層に目を向けるところに特徴がある。本質を見極めるために、二つの理解の軸が用意されている。横軸として、教育の問題について語るときに使用されている言葉についての英米と比較しながらの検証である。そうした言葉が介在してやり取りされた概念は現状を認識するときの知識の基盤になっており、問題解決の際、その方向性を左右する意味で重要な役割を果たしている。
教育について語るときに、英語からの翻訳語が多く用いられている。しかし、両者のあいだに意味のずれは少なからずある。また、翻訳語由来の概念は日本的な展開のなかで議論の方向を変えることもある。そのことを明らかにするために、縦の軸として歴史的な検証が行われた。
英語のmassは本来エリートとの対比で使われた言葉で、イギリスで普及したのは20世紀に入ってからである。やがて、階級という概念が含意するものが薄れ、第一次世界大戦中の総力戦体制のなかで「国民」というニュアンスを帯びるようになった。
massは1920年代になると、「大衆」という日本語に翻訳され、もともと英語にあった意味の曖昧さは日本的な文脈のなかで拡大された。戦前の「大衆教育」は中産階級以下の子弟のための質の低い教育を意味していたが、戦時体制下では階級的分断を残したまま教育の拡張が「国民教育」として提唱された。戦後の「教育の大衆化」には「大衆教育」の負の価値が希薄化し、教育の量的な拡大を意味するようになった。
日本は近代化の開始が遅く、階級の形成も西欧より遅い。世代間の階級が再生産される時期が短く、階級意識の定着は弱い。70年代になると、「教育の大衆化」により、階級概念が抜け落ちてしまった。教育の不平等は引き続き存在するが、その後「階級」の代わりに「階層」、「不平等」の代わりに「格差」といった、意味の曖昧な表現が目立つようになった。階級概念を用いて社会を認識するとき、対立や葛藤、緊張関係などの含意が入り込むのに対し、階層概念は語意の多義性を記号の積層に折りたたむことで現実に向ける眼差(まなざ)しをそらさせた。教育の不平等の原因の一つに、階級概念の欠落があったという指摘は問題の本質を突いて鋭い。
日本の能力主義の議論において、階級と知能との強い意味連関が欠落しており、学校での成功に関して、知能より努力を重視する考えが根強い。その点においてむしろ若い世代の直感の方が現実を的確に捉えている。「親ガチャ」という流行語には、生来の不平等と、階級間の越え難い地溝に対する諦めと深い嘆きが込められており、学校給食を主な栄養源とする子供たちにとって、努力神話はただのたわごとに過ぎない。
教育の問題について考えるとき、不平等という概念や階級の存在に目を向けるべきだという主張は「和の精神」を尊ぶ社会に一石を投じたが、社会科学にとどまらず、人文学の領域においても多くのヒントを与えてくれるであろう。
ALL REVIEWSをフォローする










![正解がない時代の親たちへ 名門校の先生たちからのアドバイス[エッセンシャル版]](https://m.media-amazon.com/images/I/411xtqUxpxL._SL500_.jpg)
























