書評
『見田宗介/真木悠介を継承する 人間解放と未来構想のために』(岩波書店)
切実な問題に誠実に向き合う
人間には、家族をつくり、その上になお大きな社会をつくるという、他の生きものにはない特徴があり複雑だ。そこで、門外漢ながら「社会学」を学ぼうとするのだが、その多くは、現代社会の構造や制度を対象にしており、人間そのものを語ってくれるものが少ない。その中で「一人ひとりの人間の、切れば血の出る<人生>のひしめきとして」の社会という魅力的なモチーフをもった社会学者が見田宗介/真木悠介だ。その研究を継承・発展させようとして開催されたシンポジウムをもとにつくられたのが本書である。見田の研究の広がりを反映して、多様な事象が取り上げられる。若者論、情報化、国際、東大紛争、憲法。更にユートピア、永遠、贈与、変身、エゴイズム、身体、関係など。「アクチュアルなもの、リアルなもの、実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちの内に、青青とした思考の芽を点火することだけを願って、わたしは分類の仕様のない書物を世界の内に放ちたい」。ドキドキする。
十七歳の時に悩み、徹底的に考えた結果閃(ひらめ)いた「人間の解放」(人類の幸福と世界の革命の総合)を問い続けた見田は言う。「僕が伝えてきたのは、自分にとって本当に切実な問題に、どこまでも誠実に向き合うべきだということ」だと。それを後継者が真摯に受け止め、同様に考え続けていることが本書で示される。今壊れかけている社会を組み立て直すには、皆が自分にとって切実な問題に誠実に向き合うしかなかろう。
私が最も惹かれる真木悠介著『自我の起原』で、その思考を追おう。
利己的個人を、公理のように採用している社会に対して、真木はエゴイズムは人間の本源的条件かと問い、生命科学が示す、主体化された個体が他者を共生者として迎え入れるメカニズムに注目する。「個体は、自己目的化に抗して自己裂開する構造をもって」おり、それゆえにエゴイズムの束縛から逃れることができるのだ。集合的なエゴイズムについては、「部族」のような共同体での慣習が、実は、普遍性への指向を孕(はら)んでいることを示し、人間は「<類(普遍性)>のことを配慮し、<類>の運命を気に掛ける」存在なのだと言う。私が専門とする生命誌では、配慮は人類に止(とど)まらず、あらゆる生きものに向く。
最初に紹介した多くのテーマの一つ一つに触れたいのだが、紙幅が尽きた。興味深いエピソードで終わりたい。見田による宮沢賢治講座の参加者が、賢治ゆかりの「種山が原」に咲くコブシ(マグノリア)の苗木を八王子の大学セミナーハウスの丘に移植した。十八年経っても花の咲く気配がなかったこの木、2011年3月11日のあの地震の数日後、突然開花したのだそうだ。見田は、「神秘主義者となることもなく、合理主義者となることもなく、ただ植物の生の事実に感光しながら、知らせを受ける」と書いている。この章担当の今福龍太は、「個我」が花開くとは「『個』や『我』を超える万象世界との美しい『呼応』によって生まれるものであることを、直感的に理解することができるのでしょう」と書く。何度も読み返した。
見田と真木の関係については本書、更には見田、真木の著書を読んでいただきたい。
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