コラム
西垣 通『AI人類学』(講談社)、シャノン・ヴァロー『AIという名の鏡』(東京化学同人)
呆けていく人間か、自律する未来か
長い歴史をもつ生きものの一つである人間を考えている者としては、生成AIが人間を超える日が来るとまで言う風潮には危うさを感じる。次々とデータセンターを設立しての大量エネルギー消費も気になる。AI関連の本を集中して読む中で基礎情報学と哲学から「人間は機械ではない」という視点でAI(とくに生成AI)を捉えているこの二冊に共感した。『AI人類学』の著者である情報学者は、生成AIの問題点を次の二つに整理する。一つは、記号と対象が結びつかず、意味がわからないまま対話がなされることだ。そこには、偽情報や誤情報が紛れ込む。次に、脳とコンピューターの間の基本的な相違を認めないことである。これは、人間をモノとみなす危険をはらんでいる。問題解決には、「生命機械論」という「この異様に歪(ゆが)んだ思想の淵源(えんげん)」を探る必要があるとの指摘は重要だ。
社会における物の動きは、本来、贈与・交換であり、そこには人格が関わっている。ところが現代は、「万物は合理化された商品となり、すべての経済活動の中心に『数』が据えられている」。そして数値化、データ収集、統計分析で答えを出す科学技術が経済を支えている。「思考する」とは「計算する」こととなるのだ。「情報通信技術は、我々が生きている環境を作り替えたり創造したり」しており、人間はそこで「自らを情報有機体として認識し始めている」という考え方まで出ている。ここでは人間が部品化し、AIはそれを促進する。
人間の思考の中で重要な位置を占めるアブダクション(仮説推論)は、「『体験』をふまえ、時間をかけて循環的に実行される」ものであり、AI社会ではそれは消えていく。「コミュニケーションの絶え間ない流れのうちで、呆けていく人間」という未来図が浮かび上がるのだ。
著者は、生物の自律性に注目し、意味作用を問うという原点から立ち上がる情報社会学を構想し、人間主体の未来を描き出す。
一方、『AIという名の鏡』の著者である哲学者は、「AIは初めて、自らの問いにどう答えるかを人間に忘れさせてしまいかねない技術」だと言う。これまでの技術とは違うのだ。そこで、「自分たちを見失わないために、他者のための世界をつくる力と責任を忘れないために、どうすればいいのか」という問いを立てる。功利主義の立場で技術開発を進める人々は、最大多数の最大幸福と言って幸福量を数字にする。人間らしい感情や関係性に注目する徳倫理学が専門の著者は、これをよしとしない。AIという鏡に映らない「人間らしさ」を探り、「ケアと責任、奉仕のために人間が制御し使いこなす道具としてテクノロジーを捉え直す」ことを提案する。自律する存在としての人間が生み、使う技術を考えようというのだ。
生命機械論を脱し、自律する生きものとしての人間主体の未来を探るという共通の方向が示されているのがなんとも興味深い。
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