書評
伊藤昌亮『曖昧な弱者の時代』(岩波書店)、アッシュ・サルカール著、町田敦夫・訳『「マイノリティ支配」の正体』(東洋経済新報社)
分断の修復 似て非なる2冊の共通項
この2冊の本はそれぞれ違うものを扱っている。『曖昧な弱者の時代』は現代日本の社会状況と政治状況について。『「マイノリティ支配」の正体』は現代イギリスのそれについて。著者の属性も分析のしかたや記述のスタイルもまったく違う。伊藤昌亮は社会学者で、SNSなどでどのような言葉が使われているかを量的・質的に調査し、分析する。アッシュ・サルカールはジャーナリストで、テレビやラジオにも出演している。『曖昧な~』が状況を客観的に分析しているのに対して、『「マイノリティ支配」~』は左翼を自認する著者が見聞きしたさまざまなエピソードを連ねる。本のたたずまいも違う。『曖昧な~』は新書で220ページ、『「マイノリティ支配」~』は単行本で413ページ。ところが2冊を並行して読むと、お互いがそれぞれの補助線のように働く。『曖昧な~』は、「ひろゆき論」や安倍晋三元首相を狙撃した山上徹也被告のツイート分析、「石丸現象」「財務省解体デモ」などについての論考があるが、先の総裁選挙を扱った第7章「『曖昧な弱者』とその敵意」が興味深い。
書名にもなっている「曖昧な弱者」とは何なのか。伊藤は、貧困層やマイノリティなど一般に社会的弱者として認定されている層を「明白な弱者」、中間層やマジョリティに属しながら「何となく弱っている層」を「曖昧な弱者」とする。
先の総裁選挙での高市早苗首相や参政党の主張はこの「曖昧な弱者」によく響いた。従来のリベラル派は「明白な弱者」の救済には熱心だったが、「曖昧な弱者」に対しては必ずしもそうではなかった。バブル崩壊や長期不況、規制緩和で彼らが弱っているにもかかわらず。取り残された「曖昧な弱者」は、なぜ「明白な弱者」ばかりが優遇されるのかと不満をつのらせ、憎悪は「明白な弱者」と彼らを支援するリベラル派に向けられた。
イギリスの状況も似ている。サルカールは「白人労働者が少数派によって迫害されている」という妄想がどのように発生し、広まったのかを語る。キーワードは「アイデンティティ政治」と「アテンション・エコノミー」だ。アイデンティティ政治とは、少数派の権利を重視した政治のこと。反差別の政治と言い換えてもいい。反差別は当然のことだが、左派の誤りは経済的不平等の解消よりもこちらを優先したこと。伊藤が指摘する日本のリベラル派と似ている。
アテンション・エコノミーは、乱暴に言い換えるなら炎上商法か。顰蹙(ひんしゅく)を買おうが誰かが傷つこうが、注目を浴びてアクセス数さえ稼げばいいというメディアやSNSの振る舞いだ。移民や難民、マイノリティがデマと憎悪の標的にされ、政治がそれを利用している。こちらも日本と似ている。
伊藤もサルカールも結論はほぼ同じだ。分断された社会を修復するには、再分配を強めて経済的弱者を支援していくしかない。
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