書評
『真実の愛』(ラインブックス)
ジェフ・ニコルス『真実の愛』を読む
『悪女(わる)』の新刊を買いに本屋に行ったら、レジに『真実の愛』(ジェフ・ニコルス著、三枝靖子訳、ラインブックス)が積んであった、へえ、と思った瞬間、わたしの手はそれを掴んでいた。そればかりか、口まで勝手に「おねえさん、これもちょうだい」と呟いていたのである。なんとも、魔法のような吸引力のある本ではないか。そういうわけで、折角買った本であるから読んでみた。そして、わたしは誠に一掬の涙を禁じえない作品であるとの印象を持ったのだった。
筆者のジェフ・ニコルスくんはスターを目指す前途有為なアメリカ青年である。その野望に一歩ずつ近づくためにニューヨークのレストランでウェイターのアルバイトをやっているジェフくんの前に、ある日運命的な美女が出現する。セイコ・マツダという女性だ。わたしはよく知らないが、日本のスーパースターだというのだ。こりゃまた失礼しました。そして、たちまちふたりは真実の激しい恋に落ちる。ただの恋ではない。「真実の恋」だ。ところが、セイコ・マツダには日本に残した夫と子供がいるのだった。とはいっても、燃え盛るふたりの愛を止めることは「タワーリング・インフェルノ」のスティーヴ・マックイーンにもできるものではない。その愛のメモワールがこの『真実の愛』なのである。以上で説明は終わりなのであるが、まだ当コラムの規定枚数には達していないので説明以外のことも書いてみよう。
まず、見返しの部分には、セイコ・マツダの直筆と思われるジェフくんへの愛の(英文)メッセージが掲載されている。そのうち「How was your flite?」となっている箇所だが、ここでセイコくんは「飛行機の旅はどうだった?」と書いたつもりなのに、綴りを読みに一致させてしまったことに注目すべきであろう。確かに、アメリカ版言文一致運動の成果として発音しない gh を省略して書く若者が増えていることは事実であるが、ここは正しく flight を使ってほしい。そのことを熟知しているはずのセイコ・マツダがあえてこのようなはやりの用法に固執したのはなぜだろう。これはフロイト的な言い間違いを装ったなにかの意思表示ではないのか。『ランダムハウス英和大辞典』によれば flite は北イングランドで「口論、ののしり」の意味で使われている。ということは、この時点ですでにセイコ・マツダの心の中にはジェフくんへの無意識的な嫌悪が芽生えていたと考えるべきではないか。
それから、わたしが注目したのはセイコ・マツダがよく泣くということだ。確かに女性と涙の間には浅からぬ因縁があるのは事実である。だが、セイコ・マツダほどよく泣く女性はなかなかいない。セイコ・マツダは突然泣き出してはジェフくんを困惑させる。
「違うの。あまりきれいなので……。この言葉は、私の気持ちそのままなのよ。私の考えてる通りのことを、書いてくれてあるんですもの。本当に不思議なくらいだわ。これが真実の愛なのよ。だから泣けてきちゃったの」
セイコ・マツダはジェフが書いた歌詞に感動したのである。なんと感受性の豊かな女性であろうか。さすが「真実の愛」の人だ。それから、訣別のシーンでセイコ・マツダは次のように語っている。
「これから誰かに恋をしても、きっと、あなたを愛したようには愛さないわ」
これまたなんと感動的なセリフだろう。このことを言うと、友人は「誰にでもそう言うみたいだよ」と教えてくれたが、ほんとうに信じられないことだ。真実の愛ではなかったのだろうか。
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