書評
『エロチックな足―足と靴の文化誌』(筑摩書房)
数年前、アメリカのある靴メーカーが興味深い実験をした。女性用の靴を四種類選び出し、フィラデルフィアとシカゴの新聞でそれぞれ広告を出した。広告のデザインも内容も同一のもので、割り当てられた紙面も広告費もまったく同じである。ただ、シカゴの新聞では「エレガントなファッションで、春に一歩を踏み出しましょう」というコピーを使ったのに対し、フィラデルフィアの新聞では「この官能的なファッションで、今年こそセクシーな春に」とのキャッチフレーズに変わった。蓋をあけてみると、セクシーさをアピールしたフィラデルフィアの売り上げはシカゴの五倍も上まわった。
効を奏したのはエロチシズムを連想させた広告戦略なのか、それとも足がもともと官能的な器官だからなのか。著者の説にしたがえば、理由は後者にある。足は生理的にも心理的にも人体のもっともセクシーな部分だからこそ、フィラデルフィアの新聞広告は消費者の眠った欲望を目覚めさせたのであろう。
足にまつわるエロチシズムはなにも現代にかぎった現象ではない。しかし下肢のフェティシズムは異常心理ではなく、むしろ普遍的な感覚である、ただ、それが隠蔽されているため、多くの人々は自分の心の奥底に潜む性的欲望に気付かないだけだ、と著者は強調した。
エロチシズムの存在を証明するために、文化史的な検証が行われた。ヨーロッパ文化にとどまらず、ひろくアジア、アラビアやアフリカ文化まで視野に入れられている。中国の纏足(てんそく)は野蛮な風習とされていたが、欧米でも過去にはリンネルで女性の足を縛っていたことがあり、古代パレスチナでは若い娘の歩幅を制限するため、軽い「歩行鎖」を足首に巻き付けられていた。現代人はより「文明化」したかというと、そうではない。ハイヒールをはじめ、狭い靴、底の厚い靴など、人間の足を痛めつける履物は後を絶たない。
快適さを厭(あ)くなく追求するアメリカ人は靴の履き心地にきわめて敏感だ。靴メーカーは消費者を満足させるために、6Aサイズの狭い靴から6Eサイズの広いものまで多様な履物を作り出した。さまざまなサイズと幅の組み合わせは三百種類にものぼる。にもかかわらず、人々が足の変形に悩まされた状況は一向に改善されていない。靴を履く成人のうち、いまなお八割が何らかの足病を持っている。四十種もの足の傷害はきつく締め付けられる履物によって引き起こされている。エロチシズムを求める欲望は快適さを求める願望をつねに圧倒しているからだ。
足のエロチシズムは日常生活のなかに深く浸透している。ファッションモデルの歩き方に違和感を覚える人は少なくないだろう。著者によると、彼女らは特別の歩き方をしている。両脚をぴったりくっつけ、つま先をまっすぐにするか、かすかに外向きにする。一歩踏み出すごとに、白線の上を歩くように、一方の足を少しだけもう一方の足と交差させる。そうすると、腰と臀部の半円形の揺れがまろやかに誇張され、優雅にバランスがとれる。このような「不自然な」歩き方によって性的魅力がいっそう強められる。
履物業界の現場にいるためか、著者は論証の厳密性よりも、具体的な事例の検証に力を入れた。ただ、アカデミックな研究で見落とされやすい問題に着目した点は評価すべきであろう。足と靴のフェティシズムについての、まるで風俗リポートのような詳しい紹介にはやや辟易もしたが、足病の専門家であるだけに、現象を観察する目は鋭く、論述にも一種の思い切りのよさがある。この一冊を通して、通常知りえない世界に出会えるのはまちがいない。
【この書評が収録されている書籍】
効を奏したのはエロチシズムを連想させた広告戦略なのか、それとも足がもともと官能的な器官だからなのか。著者の説にしたがえば、理由は後者にある。足は生理的にも心理的にも人体のもっともセクシーな部分だからこそ、フィラデルフィアの新聞広告は消費者の眠った欲望を目覚めさせたのであろう。
足にまつわるエロチシズムはなにも現代にかぎった現象ではない。しかし下肢のフェティシズムは異常心理ではなく、むしろ普遍的な感覚である、ただ、それが隠蔽されているため、多くの人々は自分の心の奥底に潜む性的欲望に気付かないだけだ、と著者は強調した。
エロチシズムの存在を証明するために、文化史的な検証が行われた。ヨーロッパ文化にとどまらず、ひろくアジア、アラビアやアフリカ文化まで視野に入れられている。中国の纏足(てんそく)は野蛮な風習とされていたが、欧米でも過去にはリンネルで女性の足を縛っていたことがあり、古代パレスチナでは若い娘の歩幅を制限するため、軽い「歩行鎖」を足首に巻き付けられていた。現代人はより「文明化」したかというと、そうではない。ハイヒールをはじめ、狭い靴、底の厚い靴など、人間の足を痛めつける履物は後を絶たない。
快適さを厭(あ)くなく追求するアメリカ人は靴の履き心地にきわめて敏感だ。靴メーカーは消費者を満足させるために、6Aサイズの狭い靴から6Eサイズの広いものまで多様な履物を作り出した。さまざまなサイズと幅の組み合わせは三百種類にものぼる。にもかかわらず、人々が足の変形に悩まされた状況は一向に改善されていない。靴を履く成人のうち、いまなお八割が何らかの足病を持っている。四十種もの足の傷害はきつく締め付けられる履物によって引き起こされている。エロチシズムを求める欲望は快適さを求める願望をつねに圧倒しているからだ。
足のエロチシズムは日常生活のなかに深く浸透している。ファッションモデルの歩き方に違和感を覚える人は少なくないだろう。著者によると、彼女らは特別の歩き方をしている。両脚をぴったりくっつけ、つま先をまっすぐにするか、かすかに外向きにする。一歩踏み出すごとに、白線の上を歩くように、一方の足を少しだけもう一方の足と交差させる。そうすると、腰と臀部の半円形の揺れがまろやかに誇張され、優雅にバランスがとれる。このような「不自然な」歩き方によって性的魅力がいっそう強められる。
履物業界の現場にいるためか、著者は論証の厳密性よりも、具体的な事例の検証に力を入れた。ただ、アカデミックな研究で見落とされやすい問題に着目した点は評価すべきであろう。足と靴のフェティシズムについての、まるで風俗リポートのような詳しい紹介にはやや辟易もしたが、足病の専門家であるだけに、現象を観察する目は鋭く、論述にも一種の思い切りのよさがある。この一冊を通して、通常知りえない世界に出会えるのはまちがいない。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする