選評
『爆心』(文藝春秋)
谷崎潤一郎賞(第43回)
受賞作=青来有一「爆心」/他の選考委員=池澤夏樹、川上弘美、筒井康隆/主催=中央公論新社/発表=「中央公論」二〇〇七年十一月号鮮やかな成果
青来有一氏の『爆心』は、「釘」「石」「虫」「蜜」「貝」「鳥」の、六つの作品から成っている。全体を貫く主題はすべて、信仰の街ナガサキの上空で炸裂した原子爆弾から引き出されていて、たとえば、〈あの時に、主はこの空にいなかったのだろうか〉(「蜜」)という切ない問いであり、〈街を覆った火をどうして海が押し寄せて消してくれなかったのか〉(「貝」)という烈しい願いであり、〈あの時以来、生きることが試練となった〉(「虫」)という沈痛な呻きである。もちろん主題は充分に熟成され、思いがけない形をとって読み手の前に現われる。「石」を例にとれば、語り手は「顔とか、目つきとか、動きが世の中の人たちから少しずれていて、どこか不自然な」たぬき腹の四十五歳の中年のオヤジである。そこで当然、その語り方も、この中年オヤジの、普通とは「少しずれていて、どこか不自然な」口調になるが、じつはこの工夫が一気にこの作品を秀作へと導いた。語りの一行一行が意外な驚きに満ちていて、しかも滑稽であり、それがやがて哀しみの色を濃く滲ませはじめる。
彼はいま、かつての小・中学校時代の同級生で、飛び切りの秀才だった九ちゃんに会おうとしてホテルのロビーにいる。九ちゃんは国会議員に出世しているが、愛人問題で世論に追い詰められ、同じホテルで記者会見に臨もうとしているところ。中年オヤジの彼は、「お母ちゃんは、もうすぐ死んでしまうので、九ちゃんにわしを助けてもらおうと考えている」のだが、九ちゃんは救い主になってくれるだろうか。もし救ってくれなければ、原爆で泣きながら燃えていき石になった子どもたちのように、彼もまた石になるしかないのだが。信仰者を業火の中に放っておいた神への滑稽な抗議……この内容を表すにはこの文体によるほかはなく、この文体ならばこの内容しかないという、鮮やかな成果が、ここにはある。
【この選評が収録されている書籍】
中央公論 2007年11月
雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。
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