書評
『「自己責任」とは何か』(講談社)
本書は《義憤から生まれた……抗議のパンフレット》だと、著者は言う(「あとがき」)。自己責任をとろうとしない日本人への抗議ではない。自己責任の名のもとに、責任のない者に責任を押しつけようとする企みへの抗議である。《直接責任のない者に対して共同責任や連帯責任をとらせるのは、失政をごまかす権力者の常套手段》であり、ひどい目にあうのは決まって弱者なのである。
著者が反対するのは、規制緩和の名のもとに進められるアメリカの介入であり、自己責任の名のもとに進められる弱者切り捨て政策や家庭の崩壊である。責任のないところに責任を押しつけるマジック・ワードこそ〈自己責任〉なのだ。
これを例証するために、古今東西の学説がどっさりと引用される。ウォルフレンのような日本異質論を《えせ学問的テキスト》として批判し、かわりに日本文化の雑居性を評価する。丸山眞男の「無責任の体系」論を批判し、《ナチスの幹部たちにも「無責任」の体質は存在した》とする。話がつぎつぎ飛びすぎて、何が言いたいのかわかりにくい本書の主張をあえて要約すると、権力を握っているのに責任をとらず、国民にツケを回す日本の官僚に騙されるな、ということになろうか。
なるほど、責任のない人びと(特に弱者)に負担を押しつけないことが大切なのはわかった。だが同時に、誰に責任があるかをはっきりさせ、きちんと責任を取らせることも大切ではないか。なぜかこの点を、本書はあまり強調しない。
著者の見解に反するようだが、自己責任の考え方はこの点で有効だと思う。責任逃れや押しつけが生じるのは誰に責任があるかはっきりしないからだ。人びとが自己責任を掲げて官僚の口出しをはねのけるいっぽう、政府・官僚の行動を厳しく監視する。こういうやり方もある。責任追及のための前向きの提案が本書に少なかったのは残念である。
【この書評が収録されている書籍】
著者が反対するのは、規制緩和の名のもとに進められるアメリカの介入であり、自己責任の名のもとに進められる弱者切り捨て政策や家庭の崩壊である。責任のないところに責任を押しつけるマジック・ワードこそ〈自己責任〉なのだ。
これを例証するために、古今東西の学説がどっさりと引用される。ウォルフレンのような日本異質論を《えせ学問的テキスト》として批判し、かわりに日本文化の雑居性を評価する。丸山眞男の「無責任の体系」論を批判し、《ナチスの幹部たちにも「無責任」の体質は存在した》とする。話がつぎつぎ飛びすぎて、何が言いたいのかわかりにくい本書の主張をあえて要約すると、権力を握っているのに責任をとらず、国民にツケを回す日本の官僚に騙されるな、ということになろうか。
なるほど、責任のない人びと(特に弱者)に負担を押しつけないことが大切なのはわかった。だが同時に、誰に責任があるかをはっきりさせ、きちんと責任を取らせることも大切ではないか。なぜかこの点を、本書はあまり強調しない。
著者の見解に反するようだが、自己責任の考え方はこの点で有効だと思う。責任逃れや押しつけが生じるのは誰に責任があるかはっきりしないからだ。人びとが自己責任を掲げて官僚の口出しをはねのけるいっぽう、政府・官僚の行動を厳しく監視する。こういうやり方もある。責任追及のための前向きの提案が本書に少なかったのは残念である。
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