書評
『日本語はどこから生まれたか―「日本語」・「インド=ヨーロッパ語」同一起源説』(ベストセラーズ)
印欧語との類似説く画期的起源論
普通、書評というのはその本の内容が最低でも六割は理解できたと感じたときにするものである。ところが、この本に関しては、その専門的な内容もあって、私の理解は四割、いや三割にも及ばないかもしれない。にもかかわらず、あえて紹介を試みるのは、ひとえにその重要性ゆえである。というのも、本書は、スタンフォード大学遺伝子研究チームの言語部門担当メリット・ルーレンの打ち出した「日本、朝鮮、アイヌ語などの極東言語は印欧語と同一起源」という仮説をかなりの程度まで検証しえたと思われるからだ。われわれが英語、フランス語などの印欧語を学習するときに第一に面食らうのはモノや人を単数・複数で区別する文法的数(単複・人称)であるが、著者は、フランスの学生に日本語を教えたとき万葉集の「憶良らは」の「ら」の説明に苦しんだ経験(「ら」は複数ではなく親愛や謙遜の表現)から、印欧語と日本語の文法的数の起源の問題に興味を持つ。
たとえば、日本語には「山々」「道々」「蝶々」「爺々(ヂヂ)」「婆々(ババ)」などの反復表現があるが、その反復は必ずしも複数を表すとは限らず、強意と情動を意味することがある。「子供」「子ら」の接尾語もほぼ同じである。いっぽう、印欧語では複数がsで表されるケースが多いが、このsもその起源をたどると、反復的機能を持つ指示語に行き着くのである。しかも、その反復は単複の区別というよりも、強調表現なのである。「反復は世界の多くの言語の文法的装置として知られている。反復の意味は語根の強勢にほかならない。複数形式に関してこの方法が用いられるのは、複数使用の本質的欲求の一つは語の強勢によってみたされるということである」
こうした言語の本質を強意と情動から来る反復に見るという考え方は一人称単数主格の理解に関しても示される。
印欧語では、一人称単数主格(英語のI、フランス語のje)は二人称や他の格よりも後発で、最初はegoH(Hは母音の色合いの喉音)のような形で表されたとされ、ゲルマン系はこのegoHの前半、ラテン語系は後半を維持したものとみることができる。では、egoHとはなにかというと、フランス語のce(―)lui―ciのように、ほぼ同じ意味の指示・強調辞の繰り返された形なのでる。
ひるがえって日本語の「わたくし」はどうか? 後発であるという点ばかりか、指示辞の反復という点もおなじなのである。「日本語の強意の助詞シ、イの語源についても、指示的機能をもった小辞シ(其)、イ(汝)であったというのが大方の日本語学者の見解である。こうした観点からすると、ワ(タク)シのワはもちろん、シも代名詞だったと言える。代名詞シはその反復的、指示的機能によって強意の助詞とほとんど同じ機能を持っていたのである」
以下、印欧語の格変化と日本語の助詞、be動詞のような印欧語の繋辞(けいじ)動詞と日本語の「は」「だ」、動詞の語尾変化と活用、否定辞(n―)の類似などについても、言語の起源は感情の強弱の表現にあるという主観性言語論からの説明がなされる。
読みやすいように書かれているとは言い難いが、大野晋の「日本語タミル語起源説」のあとを窺う画期的日本語起源論であることは確かだ。「日本列島の縄文時代前期の言語と、中央アジアまで来ていた印欧祖語とは通底していた、という私の確信は変わらない」
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