書評
『戦争と万博』(美術出版社)
明るく薄っぺらな「晴れ舞台」を徹底解剖
わたしの勤務先は、大阪万博の跡地の外れにある。いまは緑がずいぶん深くなり、高速のアスファルト道も周囲にすっかり溶け込んでいる。が、生活臭はまったくない。祭りの記憶もとっくに消え、それなりに美しく穏やかな風景、だが底知れず退屈な風景が、だらんとひろがる。全共闘運動や反体制デモ、ヒッピーやアングラ芸術で都市がなにやらざわついているとき、竹林を大きく削ったこの人工都市にも人があふれかえった。あまりに明るく、そして薄っぺらな未来のイメージに、人びとはとまどいながらもどこかハイになっていた。そのけだるい感触だけはいまもありありと残っている。
そんなまどろみを引き裂くような本が出た。破格の国家予算をつぎ込み、産業界を巻き込み、そしてなにより日本の前衛芸術家集団を「総動員」したこの戦後最大の「晴れ舞台」について、資料や批評や研究がほとんどなく、それにかかわった人たちもなぜか口をつぐんでいる……。それをひとりの美術批評家が問題にした。
切り口は美術批評家らしく、こうである。50年代に「前衛」の旗手だった人たち、たとえば実験工房という脱ジャンル的な前衛芸術家集団、具体やネオダダ、建築におけるメタボリズム。かれらはなぜここに集結したのか。なぜここで「前衛」としての武装を解除し、さらにその記憶をこぞって封印したのか。
長らく批評のタブーとなってきた「万博芸術」を解剖してゆくうち、この批評家は、地下に埋められた驚くべき配線の数々を見いだす。
丹下健三をはじめとして大阪万博の主力となった建築家たちが戦時中の「大東亜建設記念造営計画」に加わっていたこと。万博事務局に旧満州国の行政スタッフが採用されたこと。最初のプランナーであった浅田孝の、当時としては違和感のあった「環境」概念が、建築と都市計画と前衛美術のあいだをつなぎつつ、原爆投下後の建築の意味について決定的な問題提起をするとともに、続く田中角栄の日本列島改造論にも強いインパクトを与えたこと。戦中・戦後の日本美術のなりたちは、戦争画から万博芸術をへてジャパニメーションにいたる「聖戦芸術」の三度の反復として捉(とら)えかえされるべきこと。大東亜共栄圏の構想から万博の奇矯なパビリオン群をへて地下鉄サリン事件までをつなぐ「滅亡」のテーマ。万博会場で「全裸走り」をしたダダカンとアナキスト・大杉栄をつなぐ糸、その大杉を暗殺し、特務工作員として満州で暗躍した甘粕正彦が彼の地でおこなった映像実験が万博に落とす影……。
この本のいたるところに、まるでミステリーのように、隠れた補助線が引かれている。できすぎではないかと一瞬、目を疑うくらいだ。が、事実は小説よりさらに奇なり。万博建築をプロデュースした丹下健三が、愛知万博開催というまさにその時にこの世を去ったのだから。
万博には「未明」の領域が多すぎると、椹木野衣はいう。本書はその「未明」を炙(あぶ)りだした超問題作だ。
朝日新聞 2005年4月24日
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