書評
『カミの現象学―身体から見た日本文化論 角川叢書』(角川書店)
自分を超える「穴」と交通する巡礼の旅
「哲学」に傷ついたひとの書物はおもしろい。傷ついたその場所からこそほんとうの思考が絞りだされてくるからだ。ありあまる感受性をもてあまし、「哲学」という、経験を根源から組み立てなおす仕事に憧(あこが)れ、文献解釈のあまりに秩序だったゲームに身をやつし、鬱屈(うっくつ)し、いつかその抑え込まれた感受性が暴発し……。そう、本書はそうした彷徨(ほうこう)から生まれた。だから「難産」だったし、逆に読む者のその肉に伝わってくる深い本にもなった。
食べること、見ること、触れることをはじめとして、生きることは自分ではないもの、自分を超えたものと交通することである。その接面の構造を読み解こうとして、著者は、内と外、あの世とこの世というふうに、世界が裂けている場所、現代社会では塞(ふさ)がれてしまった「穴」に、身を置く旅に出る。「カミ」と出会うための儀礼や祭りの場に。インド、チベットから宮古島、大分・国見町、伊勢、奥三河、鶴岡へ、気の遠くなる距離を歩き回る。
祭りの描写、儀礼に動員される動作、祭具、象徴物の解釈。それはしかし、民俗学の記述に似て非なるものである。儀礼をおこなう身体のさまざまな回路のほうに照準を合わせているからだ。世界にうがたれたさまざまな「穴」のかたちとその差異が、「たべる」「まみれる」「よせる」「まねく」「うつす」「かさねる」「くだく」といった「穴開けの技法」と対応づけられて、あざやかに浮かび上がる。解釈を拒むようにすらみえる祭り、作庭、仏教文献の分析に、現代芸術や風俗の観察が、さらには子どものころに興じたからだの遊びの記憶が、みごとに折り重なってくる。
文体におかしみがある。まるで儀礼を映すかのように、句が執拗(しつよう)に反復され、うなりのような言葉が突如はさまれ、論理がときに歌われる。事象を分析する者が事象そのものにまみれ、自身を変えてゆきながら、そのなかでしか見えてこないものを言葉にする……。この国の「現象学」に大きな風穴を開けるにちがいない仕事だ。
朝日新聞 2003年10月26日
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