自著解説
『カディスの赤い星』(講談社)
自作再見『カディスの赤い星』
この作品は、わたしが作家になって六年たった、一九八六年の夏に出版された。長編、短編集を含めて、八冊目の本だった。出版の順序は遅れたが、実は『カディスの赤い星』は、わたしの処女長編である。第一稿を書き上げたのが一九七七年の夏だから、本になるまでに実に九年の歳月を要している。それにはいささかの事情がある。その前年の一九七六年四月、広告会社に勤務するわたしは、多忙を極める現業部門から比較的勤務体制の楽な本社スタッフ部門へ、配置転換になった。ほぼ同時期に週休二日制が導入され、精神的にも時間的にも余裕が生まれた。そこでふと、小説を書いてみようという気になった。中学、高校を通じて推理小説を読みふけり、自分でも授業中に書きまくった覚えがある。そのときの情熱が、ふつふつとよみがえってきた。
当時のめり込んでいたフラメンコ音楽と、内戦以降のフランコ体制を中心とするスペイン現代史をテーマに、さっそく筆を起こした。学生時代に傾倒したハメット、チャンドラーを意識して、一人称ハードボイルド小説のスタイルを取った。主人公は、入社以来携わってきた仕事の経験を生かして、PRマンということにした。PRマンを主人公にした長編小説は、だれも書いたことがないという自負もあった。
最初はご本家にならって、私立探偵を主人公にしようかとも思った。しかしそこまで真似するのは芸がない。アメリカ的なハードボイルドの世界を、人情も風土も違う日本へそのまま持ち込んでも、一人よがりに終わってしまう。書く以上はハメット、チャンドラーに追従するのではなく、彼らを乗り越えるものを書かなければならない。今思えばだいそれたことを考えたものだが、この初心がのちに自分を励ます糧になったのも事実である。
こうして、営々と書き続けること丸一年、出来上がってみると千五百枚の大長編になっていた。勢い込んで、何人か知り合いの編集者に預けてみたが、なかなか読んでもらえない。考えるまでもなく、千五百枚という量は素人の持ち込み原稿としては、あまりに長大すぎた。そこでわたしは発想を転換し、プロの作家になろうと決心した。作家として認知されれば、読んでくれる編集者が現れるだろうと思った。そこで小説雑誌の新人賞に応募を始め、三年後に《オール讀物推理小説新人賞》を受賞して、曲がりなりにも作家の看板を掲げることができた。
それでもなお、『カディスの赤い星』に関心を示す編集者は出てこない。つまりは当時、まだこの種の小説の市場が、十分に成熟していなかったということだろう。日の目を見るまでに九年間を費やしたのは、こうした事情があったからである。
ちなみに出版が決まり、第一稿に手を入れる作業を始めたとき、一つだけ自戒したことがある。それは、プロの目でへたに文章をいじれば、処女作の持つ貴重な熱気を損なうおそれがある、ということだった。そこで加筆訂正は最小限度におさえることにした。そのため、今読み返すと気恥ずかしくなる部分もあるが、書いた当時の意気込みは十分に伝わってくる。
この作品を世に出すために、作家になったようなものであるから、直木賞や日本推理作家協会賞によって報われたときは、ほんとうにうれしかった。
それもおそらくは、処女作の雰囲気を残したことが、プラスに働いたためと信じている。
【この自著解説が収録されている書籍】
朝日新聞 1991年7月14日
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