選評
『水面の星座 水底の宝石』(光文社)
日本推理作家協会賞(第五七回)評論その他の部門
受賞作=伊坂幸太郎「死神の精度」(短編部門)、千街晶之「水面の星座 水底の宝石」、多田茂治「夢野久作読本」(評論その他の部門)/他の候補作=小川勝己「胡鬼板心中」、小貫風樹「とむらい鉄道」、朱川湊人「死者恋」、松尾由美「走る目覚まし時計の問題」(短編部門)、曽我部司「北海道警察の冷たい夏 稲葉事件の深層」、山下武「20世紀日本怪異文学誌」(評論その他の部門)/他の選考委員=笠井潔、京極夏彦、桐野夏生、東野圭吾、北村薫(立会理事)/主催=日本推理作家協会/発表=「オール讀物」二〇〇四年七月号奇抜だが洒落た傑作
これからお読みになる方たちの楽しみを奪うことになるから、『死神の精度』(伊坂幸太郎)の内容にふれるのは努めて避けなければならないが、これはすばらしい小説だ。設定は奇抜、しかし洒落ている。死神の部下らしい調査員が一人の冴えない娘の運命をきびきびと語るのだが、その一人称の語りに巧妙な仕掛けがほどこされている。この話なら他の人称は使えないと見切ったところに、書き手の力があらわれた。しかも語られているのは、わたしたちが興味を持たざるをえない「命の長さ」についてであるから、だれもが夢中になって読んでしまうにちがいない。「天使は図書館に集まるが、死神の調査員たちはCDショップにたむろする」という例を一つとってみてもわかるように、表現も文体も、そして話そのものも、モダンで知的であり、全編が品のいい高級なユーモアでみちている。それに、冒頭から結末まで徹頭徹尾、死を扱っているのに、読後の感想は爽快であり、それどころか読み手をまちがいなく幸福にしてしまうからふしぎだ。
また、この作品の小説の結構が、会社の人事部と社員、参謀本部と前線の兵士、他人の運命を握る者と彼らに運命を握られた者といった、現実の切ない関係と重ねて読むこともできて、まるでよくできた寓話のような深みがあった。
『水面の星座 水底の宝石』(千街晶之)は、じつに役に立つ書物である。たとえば、「探偵とは、解決を遅延させる装置である」、「読者が推理小説を読むのは、意外な結末によって、目から鱗が落ちるという体験をしてみたいからだ」、「本格ミステリとは、秩序回復の物語である」、「ミステリという文芸ジャンルに潜在しているのは、絶えず正統性から逸脱しようとする歪みである」などなど、この書物は、いたるところで胸の空くような定義をしてくれる。その定義にしても、いちいちミステリの名作や傑作を読み解きながらなされるので、無類の説得力がある。そして読み終えたときに、これはじつはこれまでのミステリの財産目録であったことがわかる。つまりわたしたちミステリファンは、いま望みうる最良の手引書を手に入れたのである。
夢野久作は、どこが果てだか解らぬような文学的巨人である。『夢野久作読本』(多田茂治)は、ふんだんにエピソードをちりばめながら、この巨人の精神の深部に迫って行く。久作を敬愛しつつ、批判すべきところはきちんと批判する(たとえば、関東大震災のときの朝鮮人虐殺について、久作はその筆にブレーキをかけたふしがある)。この公正な、しかし常に温かさを失わない筆でゆっくりと現われてくるのは、国粋主義者にして国際主義者、天皇主義者にして反近代天皇制論者、そしてロマンチストにしてリアリストの久作像である。これらを統一するには彼の生命が短かすぎた。作者の惜愛の情がひしひしと伝わってくるような第一級の評伝。とにかくおもしろい。
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