書評
『うつし 臨床の詩学』(みすず書房)
微細な応答の積み重ねで「特異」を解く
とにかくむずかしい問題を扱っている。問題が抽象的すぎるというのではない。あまりにも近くにありすぎて、そんな〈いのち〉のうごめき、そんな〈いのち〉のかけあいがあろうとすら、ふつうは思いもしない水準の問題である。たとえば、ひとが深い鬱屈(うっくつ)からかろうじて抜けだそうというとき、その直前にふと立ち上がる「何かがたまってくるという漠然とした包括的な感じ」とか、他者の気持ちをなぞりながら、相手の言葉にみられるわずかなずれや落差に感応してゆくことで会話の方向が大きく転じだす瞬間とか、感情の揺れが他者にうつされるその投射と感染の過程とか、これから生まれようとしていることを掴(つか)みにいかないでひたすら待つことの意味とか、黒板を拭(ふ)くかのように消去された3歳以前の記憶の痕跡への気づきとか。
「うつし」とは、「移し」であり、「写し」であり、さらに「映し」でもある。移動や置き換え、反映や感染、そして「現(うつつ)」と「虚(うつ)」……。「うつし身」を論じた哲学者・坂部恵の『仮面の解釈学』(76年)に強く感化されたそのまなざしを、著者はカウンセリングというみずからの臨床の現場に向ける。
他者から「うつし」を受けるというかたちでの認識を臨床科学の基軸に据え、他者の気持ちをまとめるというよりも、それをなぞりながら、彼のうちでかき消されていた彼自身も気づいていない別の微(かす)かな声を「強めに映し返していく」こと、その「微細な小さな応答の積み重ね」がカウンセリングなのだと、著者はいう。
臨床の科学は、だれかを見舞うそのつど一回きりの出来事にかかわってゆくという意味で、一般的なものを扱う「普遍的なものの科学」ではなく、一度かぎりの単数の出来事を扱う「特異なものの科学」(ロラン・バルト)の可能性に懸けている。それは、だれかに別のだれかが居合わせることではじめて可能になる科学、と言いかえてもいい。
記述は語りかけるようで易しいが(まんなかの50ページを除いて)、問題の困難は面接記録の断片を通じてだけでも充分にうかがえる。
朝日新聞 2005年10月30日
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