書評
『儒教とは何か 増補版』(中央公論新社)
気宇壮大な入門書
最近の日本・韓国・台湾などの驚異的な経済発展を見た外国人研究者は、そこに儒教の影響を考えるようになった(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1990年)。儒教的な物の考え方、礼節を重んじる行動を高く評価してのものであるが、日本人にはもう一つピンと来ないものがあるのではないか。
日本では、戦後、儒教は封建道徳として、拒否されてきたし、日本経済を担う人々が果たしてこの道徳を実践してきたのかは、たいへん疑問だったからである。もう、儒教は克服されたものと見ている人は多い。
しかし本書は、多くの人が考える儒教は、宗教としての儒教ではない、という。儒教といえば、その倫理道徳・社会規範の礼教性のみを考えているが、その死の考え方に基づく宗教性が見逃されている、儒学ではなく、儒教を見なければならない、と力説する。
例えば、仏教の葬儀で日本人は何気なく、お骨に対して供養するが、本来の仏教では、死後、霊魂は成仏するか、転生するか、どちらかなので、お骨はもはや残骸の意味しかない。それにもかかわらず、骨を大事にし、霊魂が戻ってくる、と考えている。こうした考え方こそ、東北アジアに共通する死生観であり、それに沿って儒教は構築された、と見る。説明を聞こう。
中国人はまことに現実的・即物的であり、長寿を願い、快楽を求める。そこに訪れる死、その考えから儒教は生まれ、発展した。死とともに、魂と肉体(塊)が分離するが、それを呼び戻して、死者を再生させる、そうした招魂再生の儀礼を行ったのが「儒」である。儒はシャーマンに他ならない。シャーマンの祭祀を一大理論体系につくりあげていったのが、儒教だという。
なるほど、まことに明快な説明である。だが、儒教の説く孝・仁・忠などの徳目は、どう儒教の宗教性とかかわるのか。著者は、孝こそが基本であると見る。これは親孝行のことだけでなく、祖先の祭祀、父母への敬愛、子孫を生む、この三者をひっくるめて孝と呼ぶという。招魂再生の儀礼を一族として永くおこなう行為を孝と見る。
こうして著者は、孔子以後の、その儒教の発展の歴史を追いながら、まことに気宇壮大な儒教入門の書をものにしたのであった。孝を基礎として、家族論が唱えられ、家族論に基づいて政治論が打ち立てられ、その上に宇宙論・形而上学の哲学が主張されたと、儒教の発展を見て取っている。
ただ儒教と日本人の関係の分析が薄いため、最終章の、儒教と現代との関わりの議論にはいささか飛躍も多いが、儒教の宗教性について、また儒教の意義を考えるについて、好適で刺激的な書となっている。
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