書評
『東京の肖像』(朝日新聞社)
「絶え間なく変化し、無計画のまま拡大していく都市東京の魅力を解剖――カオスの都市へ」という帯の文言で「またか」と読み始め、いい意味で裏切られた。帯よアリガトウ。
一九七七年、イギリス人の著者が初めて東京を訪れたときの印象は「生きのびるために残酷な死闘のとりこになった都市」というものだった。多くの欧米人はその無秩序と過密にサジを投げ、ドヤドヤと新幹線に乗り込んで京都をめざすが、著者は東京に十年とどまって都市の奥に踏み込んできた。
よくある外側からの東京カオス礼賛論でないのは、東京のきたるべき地震災害の予測という切実な問題から一章を割いて書き始めていることからもわかる。予防策――火災遮断帯もオープンスペースもほとんどないことに、著者は子を持って住むいら立ちをまず表明する。
一方、青山のおしゃれで賑やかな大通りから一歩入ると、道は突然三メートル幅になり「つつましく便利で少しばかり流行遅れの」商店街や住区がある。ここから生気あふれる振動を感じとった著者は、東京の共同体には、明け渡すものは明け渡しても、都市の内奥にむしろコンクリのビルに保護されて「村の心臓」を残す戦略があったのではないかと考える。もちろん用途地域などまで言及していないが、面白い見方だと思う。
その大都市と生活の町が別次元で共存する青山に「塔の家」を建てた東孝光を、著者は「都心に住み続けようとあげた不屈の個人主義ののろし」と見る。返す刀で「新しい東京人の家族は、じつのところある場所に住んではいない。彼らはある場所からの一定の距離を生活している」とバッサリ。その究極のスタイルが「住宅情報誌の路線図タイムマップ」である。一回きりの生を過ごす場所を選ぶのではなく、職場との距離と物件の値段でそこに漂着しただけだと。
東京を代表する建築の選び方も独自だが、丹下健三の現都庁舎やオリンピック競技場を高く評価しながら、新都庁舎は封建主義、権威主義とキッチュの混合で「民主的な都市行政の本部としてはまったくまずい」と評す。概して正攻法でしかもユニークな東京論といえよう。
【この書評が収録されている書籍】
一九七七年、イギリス人の著者が初めて東京を訪れたときの印象は「生きのびるために残酷な死闘のとりこになった都市」というものだった。多くの欧米人はその無秩序と過密にサジを投げ、ドヤドヤと新幹線に乗り込んで京都をめざすが、著者は東京に十年とどまって都市の奥に踏み込んできた。
よくある外側からの東京カオス礼賛論でないのは、東京のきたるべき地震災害の予測という切実な問題から一章を割いて書き始めていることからもわかる。予防策――火災遮断帯もオープンスペースもほとんどないことに、著者は子を持って住むいら立ちをまず表明する。
一方、青山のおしゃれで賑やかな大通りから一歩入ると、道は突然三メートル幅になり「つつましく便利で少しばかり流行遅れの」商店街や住区がある。ここから生気あふれる振動を感じとった著者は、東京の共同体には、明け渡すものは明け渡しても、都市の内奥にむしろコンクリのビルに保護されて「村の心臓」を残す戦略があったのではないかと考える。もちろん用途地域などまで言及していないが、面白い見方だと思う。
その大都市と生活の町が別次元で共存する青山に「塔の家」を建てた東孝光を、著者は「都心に住み続けようとあげた不屈の個人主義ののろし」と見る。返す刀で「新しい東京人の家族は、じつのところある場所に住んではいない。彼らはある場所からの一定の距離を生活している」とバッサリ。その究極のスタイルが「住宅情報誌の路線図タイムマップ」である。一回きりの生を過ごす場所を選ぶのではなく、職場との距離と物件の値段でそこに漂着しただけだと。
東京を代表する建築の選び方も独自だが、丹下健三の現都庁舎やオリンピック競技場を高く評価しながら、新都庁舎は封建主義、権威主義とキッチュの混合で「民主的な都市行政の本部としてはまったくまずい」と評す。概して正攻法でしかもユニークな東京論といえよう。
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