書評
『夢見る帝国図書館』(文藝春秋)
物語の種子を宿した玉手箱
明治に誕生した図書館と、江戸時代から続く上野の町と、昭和生まれの女性ふたりの歩みを綴(つづ)った傑作小説だ。本書中に「真理がわれらを自由にする」とある。本作は一つに、明治期に福沢諭吉の一声で誕生した「ビブリオテーキ」(図書館)が苦難の道を歩み、この一文に辿(たど)り着くまでの歴史ロマンでもある。このパートは「夢見る帝国図書館」という作中作として、メインストーリーの間に挟まれていく。人々を見守る図書館を見守るような文体だ。
二つに、本作は「書く人」たちの物語でもある。語り手は小説家志望の女性であり、プロとしてデビューし、成功していく。しかし「書く人」は彼女ひとりではない。帝国図書館をめぐるストーリーを書き重ねる人たちがたくさんいる。
三つめに、これは、図書館や古本屋につどう「読む人」たちの、「読む」ことで生まれ変わる物語でもある。
立派なビブリオテーキを持つことは、一人前の近代国家の証。それは万博を開催するのと同じく、うっかり結んでしまった「不平等条約(日米修好通商条約)」を撤廃するための国策の一つだった。国威発揚に文化・文明を利用するのは、現在も変わらない。
上野の旧帝国図書館はいま「国際子ども図書館」になっている。同館の取材にきた「わたし」は喜和子という六十代の女性と出会う。頭陀(ずだ)袋のようなスカートに、端切れをはぎ合せた奇天烈(きてれつ)なコートを着た喜和子は、言動が断然パンクでかっこいい。この彼女、上野の歴史を戊辰戦争から鮮やかに語り、なぜか「わたし」に帝国図書館を主人公にした小説を書けと言ってくる。じきに喜和子の元愛人の教授や、恋敵のホームレス氏の存在が明らかになり、彼女の意外な過去が見え隠れする。どうも、彼女は幼い頃、戦後のバラック街「葵部落」で、ゲイカップルと暮らした時期があるらしい。
カップルのうち復員兵の「兄さん」が彼女をリュックに入れて、こっそり帝国図書館に連れていってくれたと言う。小説を書いていた彼から喜和子は『たけくらべ』を口伝えで教わり、樋口一葉に夢中になる。作中作で同館に通う夏子(一葉)が着ている「生地をはぎ合せた」「奇妙なパッチワーク」の着物の描写を読んだとき、なるほど、喜和子のコートはそのオマージュだったのかと膝を打った。喜和子が一度読んだきりで母に捨てられた『としょかんのこじ』という絵本に秘められた過去とは……?
「夢見る帝国図書館」の各章では、様々に名称を変える帝国図書館に、日本近代文学を築いた作家たちが通う。井原西鶴を発掘した淡島寒月、幸田露伴、この館で親友と一生の訣別(けつべつ)をした宮沢賢治、謎のインド人ミスラ氏と交友する谷崎潤一郎、芥川龍之介……じつは菊池寛も会っていたはずだとの愉快な仮説も飛びだす。
さて、この作中作の章は一体だれが書いているのか? むろん「わたし」という推測は妥当だろう。しかし、もとは喜和子の問わず語りを原形にしているし、喜和子の話は恋人や「兄さん」の話を下敷きにしているだろう。本作においては、こうした「重ね書き」の手法がしばしば用いられ、喜和子の“実話”には彼女が体験しなかった、他人の記憶も含まれるようだ。「そもそもなにが体験と呼ばれるべきなのか」と作者は問いかける。
過去になにがあれ、喜和子にとって最も大事なのは、図書館で本を読み、「自分が自分であるために必要な物語を、作ろうとしたこと」なのである。読むことで彼女は生まれ直した。
物語の種子を無限に宿した玉手箱のような小説。幾度でも読み直されることを求めている。
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